山口県岩国市のデイサービス

 
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連載介護エッセイ…社長さんのひとりごと


代表の藤本が介護を始めた理由や、今まで出会った
お年寄りとのエピソードを綴っています。
「へぇ〜こんな奴もいるんだ(笑)」って感じでご覧
くださいね。




⇒ 連載介護エッセイ@…『きっかけは不純な動機』
⇒ 連載介護エッセイA…『ふじも、スーツ事件』
⇒ 連載介護エッセイB…『しづさん、なつみさんとの出会い』
⇒ 連載介護エッセイC…『介護保険スタート』
⇒ 連載介護エッセイD…『葛藤の施設放浪記』
⇒ 連載介護エッセイE…『新しい介護との出会い』
⇒ 連載介護エッセイF…『利用者1号は多四雄さん』
⇒ 連載介護エッセイG…『おじいさんから学んだ認知症介護・前編』
⇒ 連載介護エッセイH…『おじいさんから学んだ認知症介護・後編』
⇒ 連載介護エッセイI…『おじいさんとの別れ』
⇒ 連載介護エッセイJ…『風の便りを彩った個性的な人々@Tさんとアイスクリーム』
⇒ 連載介護エッセイK…『風の便りを彩った個性的な人々AYさんのイチゴ』
⇒ 連載介護エッセイL…『風の便りを彩った個性的な人々Bまさかの事業休止』
⇒ 連載介護エッセイM…『風の便りを彩った個性的な人々Cサダ子さん行方不明事件』
⇒ 連載介護エッセイN…『若年性認知症Mさんの認知症介護@ 歩く歩くまた歩く』
⇒ 連載介護エッセイO…『若年性認知症Mさんの認知症介護A 大切にすべきは見えない時間』
⇒ 連載介護エッセイP…『若年性認知症Mさんの認知症介護B ドライブ行くなら男より女』
⇒ 連載介護エッセイQ…『若年性認知症Mさんの認知症介護C 切なる願い』


 

@きっかけは不純な動機


デイサービス風の便りホームページをご覧の皆様、こんにちは!

岩国市平田のデイサービス「風の便り」の代表の藤本佳彦と申します。
このページでは、私が29歳で「風の便り」を立ち上げるに至った経緯や、立ち上げてから出会ったお年寄りとのエピソードを中心に皆さんにご紹介出来ればと思います。

1週間に1〜2回程度更新していきたいと思いますので、お時間があるときにのぞいてみて下さいね!

私は、岩国市平田(風の便りのすぐ側)で生まれました。小さい頃は身体が弱く、 病気ばかりしていましたが、小学3年生からソフトボールを始めると、スポーツ大好きな男の子に育ちます。 自分で言うのも変ですが、性格は真面目で温厚だったと思います。人の上に立って何かをするよりも、一人コツコツと努力する方が好きでした。 そんな私が事業を起こしてしまうとは、当時の私を知る人は誰も想像しなかったでしょう…。

ただ、“いいかげん”な事が嫌いで、頑固な性格をしていました。
「風の便り」立ち上げから14年たち、結婚して子供が出来てからは、頑固さは少し丸くなった様に思いますが…。

8年前に自身の体調不良や諸々の事情により3ヶ月の事業休止を経験し、当時の関係者の皆様には大変なご迷惑をお掛けしてしまいました。 家庭を持った今は、自分の心と身体も大切に、仕事5割・育児手伝い?5割で“良い加減”で頑張っています。

私が介護らしきものに出会ったのは22年前の夏。中学からやっていた陸上を続けたくて千葉県の順天堂大学で学んでいた時に、ゼミの同級生から、

「障害者のボランティアがあるから参加してみない?」

と誘われたことがきっかけです。それが、東京都筋ジストロフィー協会の温泉旅行ボランティアでした。

それまでは介護の「か」の字も知らないような人生でしたが、なぜか参加してみようかな…と思ったのです。

「筋ジストロフィー」の方の温泉旅行ですから、重たい人を抱えてのバスの乗り降りから、入浴介助や食事介助が中心です。 今思えば結構大変な内容だったと思うのですが、

参加した感想を一言で言うと、

「気持ち良かった〜!」

めちゃくちゃ疲れましたが、何ともいえない爽快感に包まれていたのです。

実際、介護の仕事をすると動き始めたのはそれから半年後でしたが、あの夏の爽快感は忘れることが出来ません。

なぜそんなボランティアに参加したかって…

単純です。当時片思いをしていた女性に誘われたから(笑)

そうです。私の介護との関わりは実に不純な?動機からスタートしたのです。

介護らしきものに出会ったボランティアから半年後の2月、就職活動をしていなかった(きっと世間のレールに乗るのが嫌だった…笑)私は、卒業後はただ漠然と、何かアルバイトでもして生活しようと考えていました。そして就職情報誌をめくっていた時に飛び込んで来たのが、「訪問入浴介護、未経験者可!」の文字。それをみて、私はすぐに半年前の夏の爽快感を思い出します。

「そっかぁ、介護…これだ!」

と、気付いた時にはその会社に電話を掛けていますした。

面接を受け言われたのが、

「25日から来られるなら採用するよ!」

「ハイ、大丈夫です。」

こうして卒業式の前日に瞬く間に就職が決まり、今も続けている介護の世界に足を踏み入れることになったのでした。


 

Aふじも、スーツ事件


想像もしていなかった介護の業界。最初の研修期間は1週間です。

移動式の浴槽の準備や片付けの仕方、訪問入浴車の使い方、お年寄りの身体の洗い方など、最低限のことを教えて頂き、いよいよ訪問入浴オペレーターとしての仕事が始まりました。 学生時代のボランティアの経験は楽しさと清々しさしか記憶になく、ここでも日々楽しく仕事ができるということしか想像していませんでした。

しかし、そこで待っていたのは、慣れない都会の道で、同じ所をぐるぐる回り、 利用者さん宅にたどり着けず、同乗のヘルパーさんや看護師さんに突き刺さるような視線を浴びながら、 助けてもらう毎日でした…。

当たり前ですよね。22歳の新卒・ペーパードライバー・田舎者が、いきなり東京の道を運転して、 1日8件も利用者さんのお宅を回りながらお風呂にいれる…今考えたら出来るわきゃない(笑)

でも当時の私は毎日の仕事をこなすことで精一杯。会社に帰ってくるのは20時21時何てことも沢山ありました。

おまけに車を擦ったりぶつけたりも日常茶飯事。最初の2〜3カ月で20回くらいあったような気がします。当時、同乗して頂いたヘルパーさんや看護婦さん、そして不慣れでご迷惑ばかりしたご利用者さんやそのご家族さんには、改めて感謝しかありません。もちろん今では安全運転ですよ。

ほとんどが小さい事故で済んでいましたが、入社して3カ月目の夏、ついに大事故を起こしてしまうのです。

しかも2回も…。

当時の私のニックネームは『ふじも』でしたが、その事故(事件)は、

『ふじも、スーツ事件』と呼ばれました。

見通しの良い、信号のない交差点で、こちらに一時停止は無し。 その交差点に差し掛かかり、左前方に車が見えました。 こちらとしては向こうが一時停止なので止まってくれるだろうと交差点に進入したところで、突然激しい音が…。 気付いてみると、止まると思っていた車と衝突していました。 この事故で、相手方には怪我はありませんでしたが、同乗の看護婦さんにけがを負わせてしまいました。

更に別の日には、狭い商店街でT字路を左折しようとしたときに、 右からくる車に全く気付かず、気付いた時にはこちら車の全面が大破する事故も起こしました。

この2つの事故を起こした私は、責任を取って退職する決意をしました。

そこで、ほとんど着用したこともないスーツに身を包み、退職願いを抱えて出勤しました。

周りの先輩や同僚も事故のことは知っていましたが、 スーツ姿で出勤した私にはかなり驚いていたと思います。
周囲も目が点になる『ふじも、スーツ事件』です。

会社に入ってから社長に退職願を渡しました。

当然受理されるものと思っていました。

そこで社長から返ってきたのは思いがけない言葉です…。

「もうちょっと続けてみたらどう?」

私は、戸惑いました。

これだけ会社や先輩や同僚に迷惑をかけておきながらどんな顔で仕事を続けたらいいんだろう…

そんな時に偶然耳にしたのが、

「ふじもに辞めてほしいと思っている人なんて誰もいないよ…」

という先輩の言葉でした。

今となっては会社を続ける決断をするまでにどれだけ時間をかけたかも覚えていませんが、 とにもかくにも私は仕事を続けることになりました。

相変わらず怒られてばかりの毎日でしたが、仕事を始めて3ヵ月もすれば、ようやく慣れてきて、 お年寄りとの会話を楽しむ余裕も出てきます。 設立間もない会社でしたので、経験不足の私でも1日8件・週6日勤務の訪問入浴で、 あらゆるお宅へ訪問しました。元気なお年寄りから、ALS・筋ジストロフィー・ 呼吸器・気管切開の方・身体障害者の方など、あらゆる疾患を抱えたお年寄りまで、 さまざまな人を介護させて頂きました。

現在、人を雇う立場になってみれば、 ド新人の22歳新卒の男にそんな細心の注意を払わなければならない利用者さんを任せる勇気はありません(笑)
なんでそんなすばらしい経験をさせて頂けたかと言えば、 その会社で初の新卒採用だから将来を期待されていた!

…訳もなく、

ただ単純に人が足りずに、猫の手も借りたかったからでしょう。
猫の方が害がないからましだった(笑)と思われてなければいいのですが。

それでも、発展途上の会社で働くことで色々なことを経験させて頂けた事が自分の財産になったのは間違いありません。

訪問入浴の会社には出たり入ったりで結局3年間在籍しましたが、3年間で7500回に上る訪問入浴で、1番印象に残っているのが、しづさん・なつみさん親子でした。


 

Bしづさん、なつみさんとの出会い


「しづさん、なつみさん」とは、就職して1年半ほど経ったころに出会い、「介護とは何か?」という事を、 身を持って教えてくださった方でした。お二人との出会いもやはり、怒られる事からのスタートです。どうやら私はそんな星の下に生まれたようです…。

しづさんは、骨粗鬆症がひどく、寝返りを打つだけでも骨折するから「要注意!」な方でした。

そんな母親を献身的に看ていた娘のなつみさんは、当然ながらスタッフに対する言葉も厳しくなります。

「違う!」「もっと優しく!」

の繰り返しです。

怒られ続けたスタッフは、「今日もかぁ…」と陰で明らかに嫌がっていた事でしょう。

そこへ私に白羽の矢が立ちます。

「しづさんやなつみさんの様な人?」が嫌いじゃない私は、

「あ、行きますよ〜」

と軽い返事をしつつ、 でも緊張しながらしづさん宅へ向かいました。

「また新しいスタッフが来た・・・」

と1から教える事になったなつみさん。

後から聞いた話ですが、最初は私のことを,

「ちっともしゃべらないし、何この人?」

と大嫌いだったそうです(笑)

私的には、真剣に覚えようとしていたので余裕が無かったのだと思います。

しかし、同じ人に来て欲しいという希望もあり、実は嫌われていながら(笑)、何度も何度も通い続けました。

昔からしつこさだけは天下一品。その都度変わるなつみさんの希望に応えながら数ヶ月、ようやく信頼して頂けるようになったのでした。

当時の訪問入浴サービスは、1件当たり40分程度、1日8件ほどを回っていました。

そんな中、しづさん宅にかける時間は、なんと90分…。

訪問してから念入りに準備をします。訪問入浴は、組み立て式の浴槽を持ち込み、ハンモックのようなシートに寝て頂いてからゆっくりお湯につかるのですが、 骨の弱いしづさんは普通の方と同じようなやり方はできませんでした。

背中に傷がついたりしてしまうので、シートの上にウレタンマットを敷きます。さらにその組み合わせを毎回考えるので、同じやり方はありません。 そして、スタッフはそれに全て応えていきます。

ベッドからマットに抱えて移動するときも、寝返りを介助し背中を洗う時も、身体を洗う時も、

「痛くないかな〜、皮膚は傷ついていないかな〜」

と細心の注意を払います。

もちろん時間を気にしながら仕事できる雰囲気ではなく、今日のお風呂を成功させる事に全精力をつぎ込みます。

そんなことを繰り返していると、スタッフと娘さんの一体感が生まれるのは必然でした。

しづさんの誕生日にはお風呂が終わってから、誕生パーティーを開催しました。もはや仕事ではありません(笑)

本当はダメなことなのでしょうが、発展途上の会社でもあり、まだ介護保険が始まる前だったのもあってか、当時の上司はおそらく見て見ぬ振りをしていてくれたのだと思います。

関わっている皆が、しづさんを中心に、ああでもないこうでもないと意見を出し合いました。やっていることが良かったか悪かったかは分かりませんが、皆の気持ちが一つになっていたことに素晴らしい価値があったと思います。

その後亡くなられたしづさんとも関わりもわずか1年半位でしたが、

お二人には、

『介護とは何か?』

という事を、身を持って教えて頂きました。

それは、

「介護はお年寄りを中心にして関わる皆の気持ち寄せることが大切である」

ということではなかったかと思います。


 

C介護保険スタート


「しづさん、なつみさん」から教えて頂いた事を胸に、私は仕事に精を出しました。 そして就職してから2年後、勤めていた会社が、大きな波に巻き込まれます。

今から20年前の2000年4月に介護保険が始まったのです。「官から民へ」「介護の社会化」などと言われながら、怒涛のようにスタートした介護保険でした。

当時の私は、現場の仕事こそ理解出来るようになっていましたが、制度のことなんて全く興味がありません。

「介護保険?」今と何が違うの?

「措置制度?」

「契約?」

「何のこっちゃ?」

ただ経営陣や先輩たちが慌ただしくしていたことは記憶にあります。そして自分自身も慌ただしかったことも。

きっと準備期間が短かったのでしょう、4月からのスタートに準備が間に合うはずもなく、私は3月31日から4月1日にかけての夜中、会社に泊り込んで資料の準備でした。

社長を始め、当時の上司が「おつかれ〜」と早々帰って行く中、

「新卒2年目の私が何故一人残る?」

と考える暇も無く、朝を迎えました。

疲れ果てて更衣室で仮眠をとり、そこから1週間くらい記憶がありません(笑)

当時は会社が出来たばかりで成長の真っただ中。新規事業所を増やし、顧客を集め、それから人を雇う、というサイクルでした。 今と比べれば人手不足だったとは思いませんが、新規参入がひしめく東京では人集めも簡単ではありませんでした。 そうすると採用したばかりの新人でも戦力です。満足に仕事も覚えていないのにベテランヘルパーをつけて現場に出す。 看護師が足りないからと派遣を雇ったはいいが、勤務人数の調整ミスで看護師が余った日は、正社員の看護師と派遣の看護師を一緒に車に乗せる、なんていう失礼な扱いもありました。

介護保険が始まると、そんな会社の考え方に疑問を持ち始め、多くの先輩が辞めていきました。、

そこで当時の上司に、「もっとスタッフを大切にしてほしい…」と意見を言いました…
今までいっぱい会社に迷惑かけたくせに(笑)

結局、その事が引き金となり、最初の職場を退職する決意をします。

同時に、色々な介護(現場)を見てみたい好奇心が溢れてきました。

そして、ハローワークで探して選んだのは、当時鳴り物入りでスタートし、『認知症介護の切り札』と言われた『グループホーム』です。

なぜ『グループホーム』だったか?

簡単です。無資格でもOKだったからです。

私はヘルパー免許も持っていませんでしたので、資格を必要としないところしか選択肢がなかったのです。

認知症介護の切り札といわれ、鳴り物入りでスタートしたグループホーム。

私が就職した施設は、実にさまざまな事情を抱えたお年寄りが利用していましたが、 ほとんどが、面倒見切れないと言う理由で、精神病院や、他の入所施設を断られた人でした。

暴力や暴言は当たり前です。更には突然いなくなったり、夜中に窓を叩いて近所に助けを求めたりと毎日がお祭り状態(笑)。 そんな中でも一緒に買い物や旅行に出かけたり、お風呂に入ったりと、楽しく?介護させて頂きました。

いや、実際はかなり大変でしたけどね。

そしてここでも、最初に就職した訪問入浴の会社と同じ様に、今では不可能と思えるくらい、実に濃い経験を積みました。そりゃそうですよね… 精神病院を断られた人と共同生活をするのですから(笑)

でも、経験できたことに感謝、と今だからこそ言えます。

そんな中でも印象に残っているのが、Iさんというお婆さんです。

夜勤明けに施設長から電話がありました。「Iさんという人がいて、緊急だから今からすぐに入所してもらうから迎えに行ける?」と言われました。

ヘロヘロの『お祭り夜勤明け』ですよ。

「ひどくない?」ってちょっとだけ思いました(笑)

でもねぇ…ちょっとだけ

「面白そう…」

って思ってしまう自分がいたんです。夜勤明け恐るべし…

今なら冷静に断りますよ絶対(笑)

車で片道二時間の団地に緊急で迎えに行きましたよ。

そこで見たのは、おおよそ生活の痕跡が無いような廃墟?同然の部屋に、生きているか死んでいるか分からないようなIさんと、頼りなさそうに呆然とたたずむ息子さんでした。


 

D葛藤の施設放浪記


廃墟のような光景に一瞬たじろいだのですが、覚悟を決めて部屋に上がりました。

息子さんはほとんどしゃべらないし、おばあさんは今にも死んでしまうかもしれない状況でした。 とりあえず、その場にいてもどうする事も出来ないので、挨拶もそこそこに、Iさんを施設に連れて行くことにしました。

歩くこともままならない様子なので抱えて車に乗せます。

帰りの車中、耳の遠い、視力もかなり悪いIさんに終始声を掛けながら、本当に眠い目をこすりながら運転しましたよ。

施設に着くと、Iさんに食事をとってもらい、更にポカリスウェットを飲んでもらいました。 Iさんは何ともいえない表情で、

「あ〜嬉しい〜!」

と何度も繰り返します。

Iさんは一命を?取り留めました。

今ではこのようなケースはほとんど無いと思いますが、介護に対する情報の少なかったその当時は、介護が必要になった親に対してどうして良いのか分からず、 またどこに相談すれば良いのかを考えているうちに危険な状況になっているというのは 良くあるケースだったように思います。

Iさんはその後数ヶ月にわたってグループホームで暮らします。目が見えない、耳がとても遠い、認知症も深い… まあそれはそれは大変なお婆さんでしたが、楽しいお婆さんでもありました。

そんなIさんが別の施設に移ることになりました。

『歩けなくなったから』というのが理由だったそうです。

当然のように息子さんは納得していませんでした。

そりゃそうですよね…理由が釈然とせずに私も納得していませんでした。

「歩けなくなった人を介護できない介護施設に意味あるの?自分たちの存在価値を自分たちで落としているようなものじゃん…」

そう思っていながらも、知識も経験もなく下っ端の私は、残念ですが施設の方針に従うしかありませんでしたね。

Iさんの事で施設の考えに疑問を持った私はしばらくしてグループホームを退職します。

歩けなくなったから退所?いさせてあげれば良いのでは?と感じながら、当時の私にはそれを実現するだけの知識や技術も持ち合わせていませんでした。

自分自身が成長しなければ、想いだけでは目の前のお年寄りの人生は守れない…そう感じて、ある介護老人保健施設の面接を受けました。 面接では世間話程度しかせず、その場で制服を渡され採用決定(笑)

びっくりしましたよ。だって、26歳くらいの介護経験も訪問入浴とグループホームのみ、オムツ交換すら未経験のヘルパー2級しか持ってない男ですからね。 そんなに人が足りないのか?と多少不安になりましたが、まあいっか、将来性を見込まれたんだ(笑)と前向きに考えることにしました。

当時はグループホームという制度が出来た事もあってか、劣悪な(とうわさの)施設介護よりは、家庭的な?在宅介護(グループホームは施設でしょうが…)の方が良い介護をしているという風潮がありました。 しかし、お年寄りを追い出したグループホームに勤めていたのですから、施設介護の批判なんて出来ません。

さらに当時の友人からは「施設になんて行くなよ!見損なった…」と、今思えばかなり偏った批判も受けました。

しかし、何でも経験しないと施設の批判もできないし言葉に説得力もない。自分自身の成長にも繋がらない。転職には迷いはありませんでした。

私は、新たな気持ちで仕事を始めました。100床の老健で、全てが初めての経験です。初めてのオムツ交換から大人数のレクリエーション。 50人を2人で介護する夜勤での終わらないオムツ交換に朝の離床介助、一日に50人が入る温泉のような大浴場や特浴(※特殊浴槽の略)のお風呂、 一人で一度に何人も食べさせる食事介助。

認知症や障害や寝たきりの人は見慣れていましたが、本当の体力仕事で慣れるまでが大変でした。

初めてみる大浴場はお風呂前にお年寄りの順番待ち。浴室内介助、脱衣室介助、誘導係と分担され、お年寄りが流れていきます。

大浴場の中で車いすごと入浴していたお年寄りがいました。それなのに、中にいたスタッフはその方をほったらかして外に出て来る。

「マジか!」

慌てて中に入ってみると、 たっぷりのお湯の浮力で、車いすごと浴槽内で横倒しになる寸前のお年寄りを、手を伸ばしてアクロバティックにキャッチ。

寝たまま入る特浴で足が浮いてくるのを抑えるのに一苦労。 お年寄りと会話する余裕は一切ないお風呂でした。

1番きつかったのは2時間おきの夜勤のオムツ交換です。50人中30〜40人位がオムツだったように思いますが、 全てのオムツ交換を終える頃には次のオムツ交換がやってくるというエンドレス状態(笑)

いい加減終わらないから…いや、寝ている人を起こすのも忍びなかったので、大丈夫そうな人は1回パスしようかと(笑)

「モノのように転がして神業のようなオムツ交換をして神風のように去っていく介護するくらいなら、寝かせておこうぜ。」

「だってその為の吸収の良い蒸れないオムツじゃないの?それいつ使うの?今でしょ!」

「夜は排泄ケアよりも睡眠だ〜!」

と、いつものように前向きに頑張りました。それでも凄い数のオムツ交換だったのです。

さらには7時からの朝ごはんに間に合わせるために4時からの離床介助です。これも凄い数…

4時に起こす人は朝ごはんまで時間があるので着替えだけしてまた寝るという… これなら、もとから寝間着に着替えなくても良くない?

オムツ交換の時のように、寝る前の就寝介助や朝の離床介助をサボってしまいたくもなりましたが、こればかりはもう一人の職員の目があるので不可能でした(笑)

夜勤での終わらないオムツ交換と離床介助に、職員は疲弊し老人は寝不足という悪循環の毎日。
まだ20代半ばの若かった私は、その状況を体力で乗り切り、夜勤明けのサービス残業に明け暮れ、クレーム対応に頭を悩まし、必死で仕事をこなします。

施設内研修にも取組み、また自費で休みを使って施設外の研修にも積極的に参加していました。 業務に振り回される中でも、お年寄りとのホッとする時間も確保(居残り?)しながら、流れるように日々が過ぎていきます。

そんな最中に発生したのが、職員による金銭の窃盗事件でした。

ある日の夜勤中にAさんというおばあさんに呼び止められます。そして密かに打ち明けられました。 「昨日の夜にある職員に突然布団を掛けられた時があった。ようやく布団をどかしたが、何かがおかしいと思って見てみると財布が無くなっていた。」と。 Aさんは90歳を超えていましたが、認知症もなく話の詳細さからも嘘を言っているようには見えませんでした。 おばあさんの話をもとに昨日の勤務状況を調べると訴えに間違いはなさそうです。

その話をきいた瞬間は、申し訳なさと共に怒りが込み上げてきましたが、おばあさんは「悪いようにせんでやってくれ」と言います。

私は怒りをこらえて事務長に事実を伝え、対応を一任しました。

その後、問題の職員と夜勤等の仕事が一緒になったりするのですが、下手に話をしておばあさんにもしもの事があったらと思うと我慢しかありません。 好き嫌いがすぐに顔に出てしまう私には苦痛以外はありませんでしたが、90歳を超えてまであんなひどい目に合ってしまったAさんに比べたら…と辛抱しました。

1〜2カ月は立ったでしょうか、気になっていてもどうなったかも知らされず、風のうわさで、どうやらお金で解決したらしい…ことがわかりました。

当の職員はお咎め無し(ばれてる事も知らされてない?)。

今思えば、おばあさんの意を汲んだ対応だったのかもしれませんが、当時はこの理不尽さに悲しくなりました。

その後も老健で色々と心に葛藤を抱えながら働きました。 2年弱経ったころ、また新しい事に挑戦したくなり、退職を決意し施設長に退職願を提出しました。

施設長は驚いたような顔をし、

「破って良いか?」と聞かれたので、

「それならもう一度書きます。」と答えてしまいます。 お〜強気(笑)

今振り返れば、「引き留めるぞ」と言う意味だろうに、雇って頂いていた身分で失礼極まりない答えでした…(苦笑)。 この場を借りてお詫びしなければと思います。

まあ、そんな事もありながら無事に退職を認めて頂きました。 ただ、次の職場を決めてから辞めればいいのに、いつもながら次の当てはありません。ハローワークに通いながら、片っ端から面接を受けました。

訪問介護の面接では「料理があるから男性は…」と断られ、老人保健施設では、「腰掛けのつもりならご遠慮願いたい」と断られ、最終的に決まったのは、デイサービスでした。

面接して頂いた副施設長から

「お話を聞いて、一緒に働いてみたくなったわ〜。」

と言って頂きました。そのデイサービスは、リハビリを中心に据えたサービスです。 初めてのことも多く、簡単なリハビリなんかも教えて頂き、結構面白く働きましたね。

しかしまたもここでは、施設長と対立?というか、ついて行けなくなって辞めることになりました。

私が施設長に怒られたのですが、その理由は

「利用者さんが平行棒をくぐるのを止めなかった」から。

「そんなに怒ることか?」

とかなり感情的になっていたので詳しい経緯は余り覚えていませんが、私の中では理不尽極まりないことで、人生でこんなに人を嫌いになったことは後にも先にもありません。 でも一言でいうと、施設長の方針は、利用者さんへの「管理」や「監視」の程度がやりすぎだったように思い出します。

「何をしでかすか分からないから常に利用者を見張っていろ!」

みたいな感じでしたね。きっと向こうは「見守り」しなさいのつもりだったのでしょうが、私には「見張り」にしか見えない(笑)

当時の上司の計らいで、施設長には分からないように退職したような気がします。本当にに感謝しておりますが、もう顔を合わせるのも無理だったのでした。


 

E新しい介護との出会い


デイサービスを辞めた次に就職したのは、訪問介護のお仕事です。

その職場の管理者が、前職とは正反対の何もしない人でした(笑)

そんな彼にも唯一やる気を見せる見せ場がありました。

それは、かかってきた電話を真っ先に取ること!

しかし、百戦錬磨の女性ヘルパー陣の素早さには敵わず、あえなく撃沈。

大丈夫か…ここは? そう思いましたが、何事も経験!と頑張ってみることにしました。

ヘルパーとして入った先で思い出すのが、美味しいミルクティーの作り方を教えてくれた節子さんです。

団地の5階に住んでいて、たしかパーキンソン病だったような気がします。そう、パーキンソン病と言えば、 だれも見ていないと自分で動けるけど、人に見られていると緊張して突然体が動かなくなり、甘えていると勘違いされてしまう人がいます。 節子さんもそんな方でしたので、ヘルパーが入るとおそらく自分の身体が動かなくなり、あれやこれやと指示を出し、甘えてる…と思われていたのでしょう。

まあ、クセのある人でした(笑)

新人でしたが、クセのある人が嫌いじゃないので私に白羽の矢が立ちました。

ヘルパーで入ると一通り頼まれごとをします。 それが終わると、節子さんの指示で、お茶の葉から煮出してミルクティーを作るのです。 それが本当に美味しかった…めちゃめちゃ熱かったけど(笑)

ヘルパーに入ると毎回それが日課でした。何しに行ってたのだろうって感じです(笑)

この職場はわずか2カ月の在籍だったのですが、そんな職場で、私自身の運命を変える出会いがあろうとは…。

その職場の先輩が購読していた介護雑誌を読ませて頂いて衝撃を受けたのです。

雑誌の名前は『ブリコラージュ』といいます。

生活とリハビリ研究所の理学療法士・ 三好春樹さんが責任編集をしている雑誌で、 介護現場からの実践報告や、介護現場でのタイムリーな話題の特集、 介護セミナーの紹介などが載っていました。

一言で感想を言うと、

「なんじゃこりゃ〜!」です。

今までの自分自身の介護観を覆される内容もあり、また「ス〜」っと心の中に浸み込むような説得力に満ちていました。

私は、三好春樹さんの本を片っ端から読みあさりました…もちろん仕事中に(笑)

だってあまりヘルパーの仕事もなく、また事業所の隣が図書館で、これは「本を読め!」と言ってるようなものでしたから。

そして定期購読を始めた「ブリコラージュ」の最初の特集が

「介護職が辞める時!」です。

何と言う偶然でしょうか(笑)

すぐに訪問介護の会社を退職した私は、介護職の派遣の会社に登録し、ある大きな老人保健施設で働いていました。

そこでも、 旧態依然とした画一的な介護は変わらず、ブリコラージュに載っているような新しい介護を実践している介護現場からは程遠いのが現状でした。

良いことを見たり聞いたりしたらすぐに実践したい自分と、その理想とは程遠い現場での仕事、何かを変えたくても変えられない実力不足。 私の心と身体のバランスは次第に崩れ、顔や体に蕁麻疹となって表れました。 結局、派遣会社も辞めて無職になります。

六年半続けてきた介護の仕事をやめようかなぁ…という気持ちと、理想の介護を実践している人たちがうらやましいなぁ…という気持ち。

私は、交錯する2つの思いを抱えながら、ブリコラージュで紹介された施設(井戸端げんきetc)をいくつも訪ね、三好春樹さんをはじめとする新しい介護とを伝えるセミナーに参加していました。

そして、その年のクリスマスに横浜であった介護実技のセミナー(NHKためしてがってん!に出演されたRX組の青山幸弘さん主催)の終了後の懇親会で心を突き動かされる話を聞きました。

鹿児島からセミナーに参加していた同じ年の女性が、施設でぞんざいに扱われていた要介護500のおばあさんの為に、独立してデイを始め、お婆さんを引き受けた話でした。 要介護500ですよ(笑)

その女性の名前は中迎聡子さん。施設の名前はいろ葉といいます。

同じ年齢の女性が、独立して要介護500のおばあさんを楽しそうに介護をしている。それだけで、自分の心を動かすには十分でした。



思い立ったら動かずにはいられない性格の私はすぐに行動に移しました。

まずは実家に電話・・・1年に1回位しか電話してこない息子からの電話が独立の話(笑)。

両親もあいた口が塞がらなかったと思います。

「まあ、とりあえず帰って来い(苦笑)」と。

独立に必要な事は何も知りませんでしたが、何とかなるものです。

会社を立ち上げるとなって、有限会社?株式会社?定款って何?宅老所にする物件は?資金は?人は?認可は? すべて行き当たりばったりでした。 周到な計画を立ててから行動すれば、 こんなにも周囲を振り回す事は無かったかもしれません。

でも私には無理でした(笑)。

「心が動けば、身体が動く」

という有名な言葉がありますが、まさに言葉通り!

当時振り回してしまった皆様に感謝しています。その甲斐あって、年末に思い立ってから2ヵ月後の2月28日に会社を立ち上げ、 その7ヵ月後の9月30日には建物が完成し、その1ヵ月半後の11月11日には事業を開始し、早くも 1人目の利用者がいたのです。

その当時は、目の前の問題を一つ一つ解決していく事に必死で、周囲がどう思うかなんて余り気にしていなかったように思います。 非常に恥ずかしい話ですが、当時29歳の「若気の至り」で、お許し頂いた気がします。。

何はともあれ、希望に満ち溢れた船出となりました。


 

F利用者1号は多四雄さん


2005年11月1日よりデイサービスを立ち上げて一人目の利用者は、今は亡き私の祖父でした。 一応、オープン記念日は11月11日ですが、その前からの利用開始です。

それもそのはず。岩国生まれと言っても、岩国で働いた経験のない、どこの馬の骨(笑) が始めたデイサービスに簡単に利用者を紹介するケアマネさんがいるはずもありません。

そこで、近所のデイを利用していた祖父に白羽の矢が立ちました。
祖父の名前は「多四雄・たしお」と言います。

誘い文句は、

「あなたが来てくれないと孫の会社が潰れるから…」

最初は何のことか分かっていませんでしたが、今のデイサービスとの併用からスタートしました。 もちろん利用者さんはいませんから、

「よっちゃん(私のこと)こんなんで大丈夫か?」

とさんざん言われました。

「大丈夫、大丈夫、そのうち増えるから!」 と言いながら、身内には1番言われたくない言葉でした。

多四雄さんは超のつくくらいマイペースな人でした。エロ話が大好きで、自分の思ったことをすぐに口にする。
ある日、見学に来た女性を見て、

「よう肥えとるのう…お前の嫁にどうじゃ?」

失礼な上に声が大きい…フォローの使用もありません。

多四雄さんは、デイサービスに来るのが好きではありません。通っていたデイサービスでも、職員が迎えに来る前に布団の中で考えています。

「今日はどうやって断ろうかのう…」

迎えに来ても、ああだこうだと言い訳をして抵抗しますが、どうしても腰の上がらないときは デイの職員さんも心得たもので、お気に入りの看護婦さんが交代で迎えに来ます。それでも抵抗しようとしますが、

「つべこべ言わんとはぁ行くよ!」

の一言で苦笑いで車に乗り込みました。

あるときには、デイに迎えに来た職員にお金を渡して帰らそうとした こともあります…しかも1万円(笑)

さらには、職員さんを布団に入れと誘ったことも(苦笑)

またある時には、「巨人の松井が何で結婚せんか知っとるか?」と聞いてきたので、「分からん…何で?」と聞いたら、

「ありゃあ〇〇〇が立たん(笑)」と

そのデイサービスと「風の便り」の併用をしながら楽しくやっていましたが、 利用者が祖父だけの状況は、深く関われる一方で経営的には赤字の垂れ流し。 これから来る利用者を気にする前に、目の前の人に精一杯尽くすのが大切と理解して、 努めて明るく振舞っていても、心の中は穏やかではありません。 立ち上げ当初から今までこの苦しみから逃れたことはないのですが…。 そんな気持ちでいたところ、あるところから二人目の利用者をご紹介いただきました。 村山さん(仮名)と言いまして、定年後に農業をやっていましたが、痴呆が進みご家族がど こか良いところがないだろうか?と探しておられました。そして藤本家の遠い親戚筋にあたる人でした。

村山さんはアルツハイマー型の認知症と診断されていました。週5回のご利用です。 一緒に「風の便り」やご自宅の畑の世話をしたり、広島の湯来町の温泉に行ったり、ドライブに行ったりしました。 利用者が少ない頃ですのでので、かなり密に関わりました。 そのうちに痴呆の症状が進み、定休日も自費で来て下さいとお伝えし利用するようになりました。 ただ事業所の定休日の私と村山さんの1対1の関係はお互いにとってきつかったなぁ…というのが反省です。 男同士で色気もないし(笑)

当時の私は、独立したばかりで自分の納得いく仕事をしたいと頑張っていました。 もちろん休みはありませんし今でいうと「一人ブラック企業」状態でしたが、フリーランスと一緒で自分の意志 でやりたい仕事をやっていたので充実していました。 独立前は自己嫌悪に陥るようなことを指示されることもありましたが、自己嫌悪よりも自 己満足を感じられる仕事のほうが、気持ちの上では全然楽でした。気持ちが充実していたので、 身体も動いたのでしょう。

村山さんは、1年半程ご利用され、自宅での介護生活が限界になったことで施設に入所されました。

その時にご家族から言われたのが、

「これ以上藤本さんに頼っていたら、自分たちを攻めてしまいそうだから…。」

という言葉です。

頑張って村山さんを支えていたつもりでしたが、もしかしたら 自分が頑張り過ぎることで、ご家族や村山さんから大切な何かを奪っていた のかもしれません。村山さんは「すまんのう…」が口癖でした。反省と同時に、今でも教訓にしている経験です。


 

Gおじいさんから学んだ認知症介護・前編


開所して1月ほどたった頃、ある一人のおじいさんがやってきました。立ち上げスタッフの一人が 以前に千葉県の有料老人ホームで働いていたときに関わっていた方でした。その有料老人 ホームがトラブルに巻き込まれて閉鎖することになり、おじいさんの行き場がなくなり受け入れ先を探しているとのことでした。

普通なら近くの施設を探すところでしょうが、このおじいさんが曲者でした。奥様を亡くさ れてから認知症の症状が出て、介護施設でも杖を振り上げたり介護拒否があったりと、いわゆる問題老人と呼ばれるタイプだったのです。

そんな中で唯一に近く相性が合って、おじいさんの家族とも親密に関わっていたのが、 この有料老人ホームのスタッフのSさんでした。Sさんはその後にご主人の転勤で千葉を離れることになりましたが、 おじいさんのご家族と連絡は取っていたらしく、ご家族がおじいさんをどうしようかと悩んでSさんに相談していたのです。

立ち上げスタッフのSさんは「宅老所なら」と私に相談してきました。いやあ…さすがB型ですね。 困ったときに突拍子もないことを言い出すのは大体B型で、それに振り回されるのがA型なんです(笑)

デイサービスを始めるときに、必要があれば泊りもやって在宅生活を支えれば良いなぁ…と考 えてはいましたが、いきなり『住む』、そして『千葉県から…』は想定外です。

さすがにどうしたものか…としばらく悩みました。

そして、千葉から依頼のあったおじいさん…悩んだ挙句、受け入れることに決めました。

故郷から遠く離れることになり、ご家族も近くにいない。「風の便り」も設立したばかりでこの先の経営状態も予測が立たない。 決して信頼を構築している訳では無いただのデイサービスです。 おじいさんもご家族も不安でいっぱいだったことでしょう。受け入れる側としても不安が半分、「何とかなるさ!」の楽観が半分でした。 B型のスタッフSさんに不安があったかどうかはさておき(笑)

でも、私が受け入れを決めたことで、目の前の困った人を見捨てておいて何が専門職だ!…なんて正論に振り回される残りのスタッ フが一番大変だったと思います。

それでも人生において、ここは引いては行けない一線もあったのは確かです。それがこのと きの決断だったように思います。そして、受け入れの決定をしてから間もなくのクリスマス 近くだったでしょうか、おじいさんは千葉からやって来ました。

信頼を寄せるスタッフのSさんと共に広島の空港に降り立ち、車で岩国まで…。

そして玄関をくぐったその日からおじいさんが亡くなるまで、実に密度の濃い2年半が始まったのです。

おじいさんの名前は西本さん(仮名)といいます。 私としても西本さんに早く信頼してもらうために、出来る限り交代の寝泊まりを繰り返しました。 おじいさんの懇意のスタッフSさんと共に週に2回の夜勤、残りを他のスタッフで回していました。今思えばハードな勤務でしたね…今だったら絶対に倒れます。 まだ30歳になりたてのピチピチ(笑)の若さと、自分のやりたい仕事をやっているという喜びで乗り切っていました。

西本さん現役時代は司法書士のお仕事をしていました。大正生まれの厳格な男性です。 「風の便り」にやってっ来た頃は、機嫌の良いときはお得意のハーモニカを吹いて皆を楽しませてくれたりする陽気なおじいさんでしたが、ひとたびスイッチが入るとそうはいきません。

スイッチが入った西本さんはまず帽子をかぶります。明治・大正の男性には多いのではないでしょうか。 帽子を探し始めた時点でスタッフには緊張が走っています(笑) そしてお気に入りのリクライニングチェアーからおもむろに立ち上がり、

「さて帰ろうか…」と。

特別養護老人ホームなどの介護施設でよくある光景です。こんな時に私たち介護職が目指す良い介護とは…

西本さんの気持ちに寄り添い家に帰る…「出来るかい!」

いくら何でも千葉は無理です(笑)

それならば専門職たるもの、何やらの科学的根拠に基づいて、パーソンなんちゃらケアの手法に基づいて、やさしさと真心を持って丁寧に説明すれば、今は家には帰れないことを西本さんにご理解して頂ける…。

訳はありません(笑)

ならば、私たちはどうやって深〜い認知症のある西本さんのいわゆる「帰宅願望」と付き合っていたのか? 西本さんの「帰宅願望」が「すっと落ち着く」声かけを知っていたのでしょうか?

私たちのやっていたのは、あの手この手での「時間稼ぎ」と「その場しのぎ」を繰り返し、チャンスを待って西本さんの気分が変わるのを待つ(笑)

「もうすぐ、息子さんが来るから…」

「もうすぐ、お孫さんが来るから…」

「もうすぐ、食事の時間だからそれを食べてから…」

「もうすぐ、おやつの時間だから…」

庭を散歩したり、歩くのに付き合ったり、あの手この手です。 どの声掛けが良かったとか、どんな対応が良かったとか、データを取ったわけではありません。
そのなかでも、唯一西本さんが落ち着く頻度があからさまに多かった対応がありました。

これぞ「介護の専門性!」というやつです。

きっと皆さん聞きたいやつです。

「明日から私もやってみたい」というやつです。

これを知っていると介護職の後輩にちょっと自慢できるやつです。

知りたいですよね…お伝えしますよ…



西本さんが「帰宅願望」があるときに落ち着くかどうかの違いは…



対応したのが『自分の好みの職員かどうか』です(笑)



同じ言葉をかけても、好みの職員のSさんと、自分をこんなところに連れてきた私、とでは西本さんの顔つきが違います。

これは認知症があるかどうかなんて関係ないはずです。
「好き」っていわれても、特に好みでない『江頭2:50』から言われるのと「綾瀬はるか』から言われるのでは(笑)
そう、西本さんにとってSさんは『綾瀬はるか』だったのです。世代を考えれば『吉永小百合』かもしれませんが。

西本さんは、基本的に男性スタッフは門前払いで、女性でも好みのタイプはハッキリしていたようです。 年齢に関係なく、雰囲気が優しそうな人が好きだった気がします。 好みだったのはSさん(57才)ともう一人の若い女性スタッフ(23才)です。

男性スタッフの何がいけないかなぁ…と考えましたが、やっぱり男同士は意地の張り合いになるのかなとの結論が。 特に私が施設長というのは何となく理解していたようですので、やりにくいったらありゃしない(笑)。 お前の言うことなんか聞くものか!…というオーラがプンプンでした。

それでは、西本さんにあんまり好かれてなかった私はどうしたのでしょうか?

西本さんに好かれるように『綾瀬はるか』を目指したのでしょうか?

いや、男のわたしがそこを目指しても良くて『IKKO』さんまで(笑)

でも結構よい介護をしたと思うのです。

知りたいですか?

これぞ「介護の専門性!」というやつです。

きっと皆さん聞きたいやつです。

「明日から私もやってみたい」というやつです。

これを知っていると介護職の後輩にちょっと自慢できるやつです。

知りたいですよね…お伝えしますよ…



西本さんに「帰宅願望」がある時に『綾瀬はるか』になれない私がとった介護の方法は…?



好みの職員に交代する」です(笑)



ふざけてませんよ!大真面目に言ってます。だってその方が西本さんが機嫌がいいし、現場がうまく回るから。

じゃあ、シフトの関係で好みの職員が出勤していないときはどうしていたのか?

知りたいですか?

これぞ「介護の専門性!」というやつです。

きっと皆さん聞きたいやつです。

「明日から私もやってみたい」というやつです。

これを知っていると介護職の後輩にちょっと自慢できるやつです。

知りたいですよね…お伝えしますよ…



西本さんに「帰宅願望」がある時に西本さんの好みの職員がいなくて交代できないときに私がとった介護の方法は…?



あきらめてほどほどに頑張る」です(笑)



「あきらめる」って酷いと思いますか?そんなことはありませんよ。 実は、「あきらめる」のもともとの意味は「明らかにする」です。

すなわち、

今出来る事と出来ない事を明らかにして、出来る事だけほどほどに頑張る」のです

『江頭2:50』のままで西本さんを説得しようなんて「火に油を注ぐようなもの」で、もってのほかです(笑)

頑張って『IKKO』さんになれても、すぐに見抜かれます(笑)

私ができるのは、西本さんが納得するまで話を聞いたり、一緒に家を探して施設内外を歩いたり。 そうするうちに家に帰ることを一瞬忘れる瞬間がきっと来るので、その一瞬を見逃さず、「おやつ」を出すのです。

そう、最後は「食べ物で釣る(笑)」

こんな感じで私は西本さんに付き合っていました。

それでも、10回に1回くらいは、気分良くお話しできるときがあったのです。そして数カ月に1回、絶妙のタイミングで「ありがとう!」なんて言うのです。 向こうの方が「上手」なのは間違いありませんでした。


 

Hおじいさんから学んだ認知症介護・後編


認知症の深かった西本さんからは大切なこと学びました。

ある日、西本さんの好みのSさんも若いMさんもいない日に私は頑張ってお風呂に誘いました。いつもなら断られるのに、嘘か誠か「入ろうか!」と言うんです。

普通に入浴介助をして湯船につかっているときに西本さんが突然言ったのです…

「お前も入るか?」

「まじか!」って思いましたよ(笑)

いや、一緒に入るのが嫌なんじゃなくて、

「浴槽狭すぎるでしょ(笑)。」ってことです。「風の便り」浴槽は正真正銘の1人用です。大柄な西本さんが浸かれば空いたスペースはほとんどありません。

これに応えれば西本さんに気に入られるかなあ…と良からぬ考えが頭をよぎりました。入るスペースないんですけど入ってしまいました…ギュウギュウです。 西本さん途中で言いました。

「なんでこんなに狭いんだ…」

だから言ったのに(泣)

良い介護かもしれないけど、やっぱり一緒に入るときは温泉が1番です。



またある時は、デイサービスのお盆休みに2人きりの時、「帰る!」と言うのです。 いつもなら余裕をもってお散歩に行くか、ドライブに行くか、するところなのですが、その日の西本さんは目が違いました…。

西本さんは、興奮しているときは歩行介助をさせてくれません。フラフラしながら杖をついて職員を振り払いながら帰る場所を探して歩きます。 今外に出たら間違いなく転ぶだろうな…と思いました。出来れば上手く声掛けをして、施設の中で気分が変わればなぁ…と思ったのです。

実はこれは悪魔のささやき(笑)

説得しようとする私の話など聞く余裕のない西本さんは、私の手を払いのけて外に出ようとします。 そうこうするうちに西本さんと私が本気の喧嘩?になり、玄関で取っ組み合いをしました。

どうでもいい話ですが、どっちが強かったと思いますか? 体重はほぼ同じです。年齢は私が3分の1。



強かったのは西本さんです(笑)

認知症でもパワーあります。いや、認知症だからこそ発揮できる「何としてでも帰りたい!」という火事場の馬鹿力です。

「負ける…」と思った私は、このままだと転んで危ないなあ…と思ったので、西本さんに組み付いて一緒に玄関に寝転びました。

これが功を奏しました(笑)

一人では立てなくなったのです…可哀そうだから起こすとまた同じ結果です。私は西本さんお興奮が収まるのを待つために、視線から外れて見守っていました。

必死で立とうとする西本さんには悪いなあ…と思いつつも、きっとこの対応がその時のベストだったと思います。 かれこれ1時間位経つと、西本さんは諦めたのか眠り始めました(笑)。30分位して目が覚めたので、同じように気持ちの落ち着いた私が食事の声掛けをすると、

「そうか…」 とにっこり笑ってくれて、2人仲良くお昼ご飯となりました。

いやあ…勉強になりました。『興奮している認知症の人には逆らうな!』ってこと(笑)



そしてこの事件からしばらく経った夜勤中にまた事件がありました。



夜中に突然施設を飛び出したのです。お盆の一件があったので、逆らっても疲れるだけだと、一緒に歩いて散歩?に出ました。 そうしたら、こともあろうに「疲れたなぁ…ここで寝るか…」と坂の途中で座り込んで寝てしまったのです。今度は私が転ばせたのではありません(笑)。

まじかよ…

「おやすみ…」っておいおい!

元々車通りも少ないけし夜だけど、車が来ない保証はなく、さすがに道路の真ん中はあかんでしょ。

しかたなく、自分と変わらない位(60キロ弱)の西本さんをやっとこ抱えて施設に戻りました。その距離50メートル。全然つかまってくれないから重いのなんの(笑)。

西本さんから学んだのは

認知症介護はあんたの思うようにはならない(笑)』ってことでした。



西本さんとの関りは、どれもこれも大変なんて言うものではありませんでしたが、今となっては良い思い出です。でももう1度やるかと言われたら出来ません(笑)。



西本さんの介護での私の苦労話を書いてきましたが、それもこれも私と西本さんは「相性」が良い訳ではなかったからです。いくら経験があっても、やはり「相性が良い」に越したことはありません。 西本さんの心が落ち着かないときは、好みのSさんやMさんが関わるのが良かったのです。

「介護職たるもの、利用者を選んではいけません!」なんてごもっともなことを言われたら、辛いのは介護職もそうですが、もっと辛いのは利用者さんです。 西本さんはSさんやMさんに関わってもらっているときは本当に嬉しそうでした。 ちなみにSさんは介護20年近いベテランでしたが、Mさんは新卒の社会福祉士です。認知症のお年寄りが1番喜ぶ介護は、経験よりも受容よりも「相性」でした。



そうは言っても、2人が不在の日はどうしていたのか知りたいですか?

これは良い質問ですね…



大規模な施設なら、相性の合う人がいない日はあまり無いとは思いますが、小規模な施設ではありうる話です。

これはスタッフ個々に考えていたと思いますが、とにかく機嫌が良い日であることを祈り、「ちょっと!」と呼び止められるのが自分でないことを祈り(笑)、 当たってしまったら、ただ言われるがままに一緒に歩いていた…気がします。

勘違いされると困りますが、西本さんに関わるのが嫌だというわけではありません。まあ、お互いによそよそしさ満点ですけど。

西本さんに教えて頂いたのは兎にも角にも「相性」が大切だということでした。




 

Iおじいさんとの別れ


私たちにたくさんのことを教えてくれた西本さんも段々と弱ってきました。食事や排泄、入浴は座って出来ていましたが、発熱などで主治医に往診や点滴を頼むようになりました。 食事量も落ち、元気がなくなっていきます。

ある日、日勤から夜勤への引継ぎ後に残って仕事をしていると、西本さんを紹介してくれた夜勤中のSさんから、「藤本君、西本さんが息をしてない!」と報告を受けました。 すぐに救急車を呼び、心臓マッサージと人工呼吸を始めると同時に、家族に連絡を取ります。

家族と言っても東京や千葉ですからすぐには駆け付けられません。何とか家族が着くまで頑張って欲しい…そう思いながら頑張りました。救急隊に引き渡すときも意識は戻りません。

病院へ到着して30分ほどは経過したでしょうか…医者から呼ばれて部屋に入りました。 告げられたのは、「手を尽くしましたが、これ以上は…」という言葉でした。 Sさんも私も頷くしかありません。

西本さんはそのまま施設に戻りました。夜は西本さんさんを一番気にかけていたSさんが朝まで付き添いました。ご家族が施設に到着したのは翌日のお昼過ぎです。 葬儀の手配の際に、ご家族から「ぜひ風の便りでお葬式をやりたい!」と言って頂きました。お断りする理由はありませんし、 場所もあります。葬儀屋さんもデイサービスで葬儀をするなんて経験がないので戸惑っていましたが、施設がOKなら…ということで決まりました。

翌日の葬儀の前に、夜は西本さんを傍らに宴会です(笑)大変だった思い出がほとんどでしたが、ご家族と一緒に盛り上がりました。2年半という短い時間でしたが、 やり切ったなぁ…という実感があったので、私たちには後悔はありませんでした。

翌日は通常のデイサービスが行われている間に、隣の部屋で西本さんの告別式を執り行いました。西本さんが亡くなったことを知ったお年寄りの皆さんは、率先してお焼香をして下さいました。 いつもと変わらない日常の中に『死』が存在している。『死』は決して隠す必要のないものだと思います。 「死」を隠されるということは、生きてきた人生をなかったものにされることではないのでしょうか? 私がデイサービスでのお葬式にOKを出したのも、西本さんは確かにここで生きていた、ということを否定したくなかったからです。 亡くなった瞬間は病院でしたが、西本さんは間違いなく、人生の最期をいつも過ごした場所で旅立っていきました。



西本さんとの関りは、私たちにたくさんのことを教えて下さいました。 実は葬儀の後にご長男さんが千葉まで遺骨を持って帰るのをためらわれたのです。

意外な光景でした。

私の想像ですが、遠いところに親を預けていたので、頻繁に面会に来ることが出来ない事、死に目に立ち会えなかった事を負い目に感じていたのでしょうか…。 私たちはやり切ったと感じていましたが、ご家族にとっては必ずしもそうではなかったのかもしれません。特に長男という立場から。 ただ、他のご兄弟に一喝?されて遺骨とともに帰られましたが。

介護職が頑張り過ぎるのはあまり良くないのかなあ…最期は家族のもとに介護を返し、私たちが後方支援をする方が、残された人が後悔しないのではないか…今となってはそんな気がします。 まあそんなご家族ばかりではないので難しいところですが(笑)

「風の便り」のリビングには今もお元気な頃の西本さんの書いた作品があります。



「日々是好日」 簡単に言うと「毎日良い日でありますように」という意味だそうです。 きっと「風の便り」が終わるその日まで飾ってあるはずです。西本さんに感謝ですね。





 

J「風の便り」を彩った個性的な人々@


Tさんは、奥様と2人暮らし。笑顔の素敵なお爺さんでした。 口数少なく競艇大好きで、甘いものが大好きです。口には出しませんが奥様のことが大好きで、 デイに来ている間も奥様のことが気になって仕方ありませんでした。そして2人とも出来るだけ家で暮らしたいと願っていました。

老々介護でしたので、お迎えに上がったときに転倒していることも何度もありましたし、 またあるときにはデイ休みの日にも電話があり、駆け付けてみれば、2人とも床でくたびれ果てていました。

デイサービスを利用後の間もない時期、理由は忘れましたが(確か知り合いがいるから…前からの約束だから…?)有料老人ホームに入らざるを得ないことがありました。

心配になって面会に行くと、寂しそうな表情です。奥様に許可を取って散歩に連れ出したときに、近くのアイスクリームやの前で目が留まりました。 何しろ、糖尿病がある(医者からは特にカロリー制限もされていない)だけで、施設では甘いものは一切食べさせてもらえなかったのです。

デイを利用中は特に甘いものの制限があったわけではなかったので、アイスクリームを一緒に買って食べましたよ(笑) そのときのTさんの嬉しそうな顔を見て私も嬉しくなりました。まあ"プチ"禁断のケアです。だって可哀そうじゃないですか…。

そんなケアにちょっぴり満足していた後日大変なことになります…。 そのアイスクリームを食べていたところを、なんと有料老人ホームの看護師さんが見ていたようなのです…

施設から電話がかかってきましたよ…「もうこういうことは止めて下さい!」と。

ハハハ…平謝りしました。油断してましたね、今度からは施設から遠いところで食べようと決意しました。

別に看護師さんが悪いとは思いません。彼女は仕事を全うしていると思います。見つかるようなことをした私が甘かったのです(笑)

これは後日談ですが、Tさんは施設での環境があまりに辛かったのでしょう…あるとき首を吊ろうとしたのです。TV台に上りカーテンレールを使って…

運よく見つかって未遂に終わりましたが、これを機にTさん夫婦は再び家での暮らしを選びました。


Tさんは 当時私たちがやっていたお泊りサービスも定期的に利用していましたが、奥様の体調悪化によりご家族は施設に入れるかどうするか悩みました。 「最期までご縁を大切にしたい」と始めたデイサービス。住むスペースがあれば可能かと、一部屋を使って住みませんかと提案しました。 ご家族で悩まれた末、「風の便り」の一室を使って住むことになりました。

しかしTさんは2週間後にあっというまに体調を崩し入院。ほどなくして亡くなられてしまったのです。

亡くなった後に奥様は

こんなことなら最後に病院から連れて帰ってくればよかった…」と言われました。

あんなに元気だったのに…やはり環境が変わったのが良くなかったのかと色々な思いが交錯しました。

葬儀に参列させて頂きましたが、涙が止まりませんでした。息子さんに掛けて頂いた言葉が心に残ります。

藤本さん…あんまり気持ち入れすぎんようにね…

そのものずばり私の欠点だなあ…と反省してます。なにせ、気持ち入れすぎの無我夢中でTさんとの記憶があいまいなのです。

Tさんとのことがあってからは、自分自身の心のバランスをとれるようになり、気持ちを入れすぎることは少なくなったのではないかと思いますが、果たしてどうなんでしょうか(笑)





 

K「風の便り」を彩った個性的な人々A


認知症・杖歩行・糖尿病・甘いもの大好きなお爺さん、Yさんのお話をしてみます。 さっきのTさんと似てますが別人です。 Yさんは風の便りに来るまでに通っていたデイサービスで問題老人と言われていました。

それはデイサービス利用中にTVを見ていたYさんの前を別のお年寄りが横切ったため、TVが見られなかったYさんが杖を振り上げて怒ってしまったからでした。

そして、奥様がそこのデイサービスのスタッフに、

ご家族もきちんと指導してください!」と言われてしまったのです。

奥様もそのデイサービスに通わせるのが気後れしてしまったのでしょうか…

ほどなくしてYさんは「風の便り」に来ることになりました。

もちろんYさんが杖を振り上げた申し送りは受けていましたので、うちでも同じことがあるのだろうか…と最初の内は様子を見ていました。

が…「風の便り」に来てからのYさんは、TVを見ているときに目の前をお年寄りが横切っても何も言いません…。 まあ、ちょっと起こると強面な感じはありましたが、たまに笑う時の笑顔はとても素敵でした。

理由は正直分かりません。私たちのケアが良かったのでしょうか…?

いや、Yさんにとって最低のケアをしていたとは思いませんが、最高のケアをできていたとも思えません。 なぜなら、お風呂を嫌がるので、毎回あの手この手です。結構しつこく誘って怒られることもありました。

以前のデイサービスで怒ったときはたまたま虫の居所が悪かったのでしょうか(笑)

それなら納得できますが、一度たまたま杖を振り上げたくらいで、「ご家族でもきちんと指導しろ」なんてさすがにやり過ぎだなぁ…と。 Yさんのプライドやご家族の立場がなくなってしまいますよね。

想像ですが、普段の「風の便り」の雰囲気がYさんに合っていたからかもしれません。


Yさんがおっしゃった言葉でとても印象に残っている言葉があります。

ある朝、玄関に入ってこられた時に一言つぶやきました。

ここに来るとホッとするなぁ…」と。

その当時は、なぜ問題老人と呼ばれたTさんが「風の便り」で落ち着いていたか言葉にはできませんでしたが、 今なら言えそうです。 それはYさんと良い関係づくりが出来ていたから、「ホッとする」なんて言葉が出たのではないでしょうか?

介護の基本である、「お年寄りの嫌がることはしない」が出来ていたのだと思います。

Yさんは甘いものが大好きでした。だから糖尿病なのでしょうが、普段食事を制限されていたので、あるときに爆発しました。

「風の便り」の前にある私の父が管理しているハウスでイチゴを作っていたのですが、もう次の野菜を作るからとカゴいっぱいに沢山いただきました。 皆に少しずつ食べて頂き最後にYさんのいつも座っているリクライニングチェアーの側に沢山残ったイチゴを「どうぞ」と置いておいたのです。

「わ〜すごいなぁ…」

という声が聞きたくてそうしたのでしたが、十数分後にYさんを見てビックリです。

あんなに沢山あったイチゴが跡形もなく食べつくされているのです(驚)

私は絶句しました。

心の中で、「どんだけ食うねん!」…と。

まあ、途中で取り上げるよりはよかったかもしれません。

Yさんは見たことのない満足そうな顔で窓の外を眺めていました(笑)





 

L「風の便り」を彩った個性的な人々B


「風の便り」を彩ったその他のお年寄りも紹介しましょう。

どの方も個性満載でした。

立ち上げ当初、利用者も少なくお金のなかった私に「親方!親方!寿司に連れて行ってくれ〜」と明るく接して下さったSさん。

認知症は深くてもいつも明るかったMさん。ご自分が寝そべってせんべいを食べながら、 たまたま立っておやつを食べたスタッフに向かって「あんた!行儀が悪いよ!」と怒り。その場にいた全員から心の中で 「いや、あんたもや!」と突っ込みを受けた、何ごとにも動じないおちゃめな呉出身のMさん。

わずか数回のご利用でしたが、誕生日に大好物のとんこつラーメンを一緒に食べに出かけたUさん。

皆で出かけた周防大島のの竜崎温泉の日帰り旅行。ほとんどの方が名物のアナゴ釜飯や新鮮なお刺身を使った定食を注文する中、そんなものには目もくれず、「私はオレンジジュースがいいです〜」とオレンジジュースを飲み続けたYさん。


皆さんまさに「個性全開」でした。

そんな中5年目を迎えた「風の便り」を一大事が襲います。



職員不足により、事業を休止せざる負えなくなったのです。原因は当時の私の力不足です。

当時の関係者の方々には大変なご迷惑とご心配をお掛けしてしまいました。それでも年末に決断してから残りの1カ月を精一杯楽しく乗り切り、 ご利用者さんもケアマネさんのご尽力で一人を残して他のデイサービスへ移ることが出来ました。

わたしは最後の営業を終えた1月末の事務所で、安堵か悔しさか一人で涙を流していました…と言いたいところなのですが、安堵はできなかったのです。

利用者さんの中のお一人が

"風の便り"以外はどこにも行きません。

とかたくなだったのです…





10年前に事業を休止した際に唯一、

"風の便り"以外はどこにも行きません!

と言って下さったTさん。

彼女は若いときに統合失調症を発症しました。ご主人を亡くされてすぐに「風の便り」のご利用が始まりました。

幻覚や妄想も激しく、デイサービスでも日々不安定ではあったのですが、ようやく慣れてきて落ち着いたころにデイサービスが休止です。

突然行く場所がなくなったTさんは不安定な精神状態になり、ご自宅で娘さんが見ていないときに自傷行為をしてしまったのです。

幸い大事には至りませんでしたが、私の心の中には、申し訳なさと何とかしなければという2つの気持ちが交錯しました。

ただ、人手不足での事業休止に加えて、自身の体調も無理がたたって思わしくなく先が見通せませんでした。

Tさんが何事もなく他のデイに移っていたら、きっと『風の便り』は再開することもなかったと思います。 Tさんのことで悩んでいるところに、 「再開に協力するよ」という方も現れました。あとは自分の心と身体が追いつくか…だけでしたが、 Tさんのことを考えると、見切り発車でもやらなければ、という想いに至ったのです。

いろいろな葛藤を抱えながらも休止してから3か月後に「風の便り」は再開しました。 休止前の利用者さんはどうだったかと言えば、戻って来て下さった方もいましたし、そうでなかった方もいました。

応援して下さる方もいましたし、批判もたくさんありました。 ただ決めた以上は、すべて受け入れて前に進むだけでした。再開から2か月後に精神病院に入院中だったTさんもご利用を再開します。

Tさんは退院後も日々妄想や幻覚がありました。


理由は忘れてしまったのですが、突然施設を飛び出していったこともありました。追いかけましたよ…入浴着の短パンTシャツで(笑)

デイサービスの利用日でないときに娘さんから「気づいたら家にいないんです」と連絡があり、車で探し回ったこともありました。

またある時には利用日でないときに家を出たTさんが、通りかかった車の人に声を掛けられ、「風の便り」の名前を伝えたらしく、全く見ず知らずの人がデイサービスまで連れてきてくれたこともありました。

そしてまたある時には、デイルームでTさんに「おはようございます!」と声をかけた社長の私に向かって開口一番、

ここの社長さんが亡くなったと聞いたんですけど…

と言われ、苦笑いするしかなかったこともありました(笑)

Tさんはもともと口数は少なく、余計なことはしゃべりません。ここ5年くらいはTさんの精神状態はとても落ち着いていて、時折見せる笑顔にほっとする毎日です。飲んでいた薬もほとんど減らすことができています。

私たちはTさんが自傷行為をしたことがあるからと言って刃物を取り上げることはしませんでした。ハサミも包丁も使うこともありました。 かといってほったらかしなのではなく、Tさんのその瞬間の精神状態に気を配り、生活空間で一人にしないことを気を付けながら関わっていました。

10年前にTさんが

"風の便り"以外はどこにも行きません…

と言ってくださった理由は詳しく聞いていません。

事業再開後10年を過ぎました。先日のTさんの誕生会で、Tさんがいなければ今の「風の便り」は存在していなかった…と感謝状を贈らせていただきました。 Tさんは目に涙を浮かべながら喜んでくださいました。

昨日のことも忘れてしまうので、どうかなあぁ…と思ったのですが、きっと心の中にはあの時のことが残っているのかなぁ…と思います。

Tさんは今92歳、お母さまは104歳まで生きられました。利用時から背筋のしゃんとしたTさん。10年たってもまるで変りません。

私一人が白髪も増え、足腰の痛みが増え、顔のしわが増えていきます。 10年後には老々介護です(笑)

Tさんのいない「風の便り」は想像できないし、まだまだTさんとのおつきあいは続きそうです。





 

M「風の便り」を彩った個性的な人々C


事業を再開してから戻って来て下さった利用者に、サダ子さんというおばあさんがいます。

サダ子さんは火の不始末があったり、バスで津和野まで行ってしまったりと認知症の症状が進んで1度グループホームに入所しました。 その後に訳があって自宅に戻り、デイサービスに通うようになりました。 お互いに慣れてきた利用開始2か月後くらいの5月にその事件は起きたのです。

スタッフがいつものように朝お迎えに行きました。娘さんは朝早くに仕事に出かけるのでいつもいないのですが、なんとその日はサダ子さんもいなかったのです。

慌てたスタッフは家の中と周囲を探しますが、見つかりません。

そこですぐに私に連絡がありました。

藤本さん!サダ子さんがいない!

近くに住んでいた私は自家用車でサダ子さんの家まで行って近くを探しました。 しかし、歩いて探せる範囲には見つかりそうにもありません。


これは大ごとになる…と察知し、すぐに娘さんに連絡し、了解を得て警察にも協力を依頼することにしました。

現場はスタッフに任せ、娘さんと私も捜索に加わりました。

それほど健脚でもなく、重たい鞄を2つも持っていたので、どこかで疲れて休んでいないかと淡い期待を抱きながら探していました。

実はデイサービスを利用し始めてからも、利用日でないときに以前入所していたグループホームまで歩いて出かけることもあったのです。 そこのグループホームのスタッフさんにも連絡し、見かけたら連絡を頂くようにお願いしました。 私は以前利用していたグループホーム周辺を含め、自宅周辺の道路を何周も何周も車で探し続けました。 大通りから小さな通りまで、サダ子さんが歩きそうなところを想像しながら探しました。

5月と言っても日中の日差しは強く、そんなに遠くまでは行ってないはず…祈るばかりでしたが、午後になっても見つからず、警察からも連絡はありません。

いよいよ夕方になり、勤務の終わったスタッフも捜索に加わってもらい、探し続けました。

暗くなる前に…そう思っていましたが、時間はすでに夜の8時を過ぎ…

最悪の事態も頭をよぎったその時、私の携帯が鳴りました。捜索していたスタッフからです。

藤本さん!サダ子さんいた〜!

安堵したスタッフのその声に全身の力が抜けました。

皆の祈りが通じて無事に見つかったのでした。

娘さんと警察に連絡し、サダ子さんは無事に自宅に戻りました。

サダ子さんは、心配で心配でしょうがなかったであろう娘さんにこっぴどく怒られたそうです(笑)

それもこれも生きているからこその幸せでしょうね。

そんなサダ子さん…

スタッフが見つけて車の中から声を掛けたときのサダ子さんさんの第一声は、

あんた何しよるん?」だったそうです。

こっちのセリフや〜」と皆心の中でつっこみました(笑)

無事に発見されたサダ子さんに「どこに行ってた?」と聞くと、

山に登っとった。疲れたでよ!


と言ってました(笑)

行方不明事件?を起こしたサダ子さん、その後同じようなことが無かったかと言えばそんなことはありませんでした。 もちろん警察からは施設入所を勧められましたが、病院や施設に良いイメージを持ってない娘さんはそのつもりがありませんでした。

ご家族がそう考えているなら、私たちはどうやったらそれが可能になるかを考えるだけです。 もちろん私も施設に入れてほしいとは全く思いませんでした。

送迎時間を早めてみたり、デイの回数を増やしたり、いつも持ち歩くカバンにGPSを忍ばせたりとできることは全部やりました。

それでもいなくなる時はいなくなります。 その後も合計で3〜4回は自宅からいなくなったと記憶しています。私たちもそのたびに探しました。

サダ子さんの凄いのは、すべてちゃんと発見されたということです。

1度行方不明になったら見つからずに…という方もあるのに、本当に運の良い人だったなあと思います。

サダ子さんは最期は入院せざるを得なくなり病院で亡くなりました。

しかし、いついなくなるかも分からないサダ子さんを、施設に入れずに頑張った娘さんも凄かったですね。 普通のご家族ならとっくに施設に入れていたのだと思います。

認知症が深いから家で過ごせないのでは無く、家族が認知症でのリスクを受け入れて覚悟を決められるかどうか』が、 お年寄りが出来るだけ長く家で過ごせるかの条件だなあ…と改めて教えて頂きました。

そして、それをサポートするのが支援する側の仕事だということも。

サダ子さんはの日常はいつも笑顔の働き者でした。デイに来るなり椅子に座る前に台所で仕事を探すのです。それに合わせてこちらも仕事を準備してまっています。

しかし、そんなサダ子さんもいつしか段々と弱っていき、歩くのにも介助が必要になり、入浴もデイで入るようになりました。 サダ子さんの入浴介助で何が大変だったかと言えば、男性スタッフと女性スタッフで扱いがまるで違うこと。男性スタッフを嫌がるんじゃないのです。女性の方を嫌がるのです(笑) 服を脱ぐのも嫌がる…普通は同性のがいいでしょ…と思うのですが。


男性スタッフがいないときの入浴はさぞかし大変だったのかと思いますが、でも女性スタッフに聞いたら、「私も介助受けるならイケメンが良い!」なんて言います(笑)

少ない男性スタッフの中からイケメンを選ぶとなると狭き門です。 せめて「この際若い男なら誰でもいいわ!」くらいにしとかないと介護をしてもらえる人がいなくなってしまいます…笑





 

N若年性認知症Mさんの認知症介護@ 歩く歩くまた歩く


2017年の初夏、「風の便り」に若年性認知症のMさんの利用の依頼があった。若年認知症の方のご依頼は開設以来初めてのことであった。 特に高齢者を選んでいたわけではないのでたまたまだとは思う。あ…もしくは施設のカラーに合わないと思われていたのか(笑)

若年性認知症のMさんは60代・身長175pくらいで若い頃に少林寺拳法を習っていた。足も長く、力も強く、お話も面白い、 ちょっとエッチで頭が薄いおじいさん?でした。

Mさんは元々パワーリハビリのあるデイサービスを利用していました。 しかし認知症が進んでほとんど参加しなくなったので、奥様が色々探した結果、「風の便り」を利用することになりました。

最初は手探りで関わっていきました。

まず始めたのは役割づくりです。認知症のある方の役割づくりの基本は


@昔やっていたことかそれに近い事。
A今ある能力で無理なく出来る事
Bそれをすることで周りから認められ感謝されること

です。


Mさんは日曜大工が好きだったとのことで、手始めに施設で使えるものを一緒に頑張ってつくってみようと思いました。 部屋の表札を一緒につくってみたり、モノを組み立ててみたりやってみた。しかし、認知症の進行のため、難しいことは苦痛の様でした。 最終的には彫刻刀で板を削るというシンプルなことをなら苦痛を感じずにできるかなというのがわかってきたのでMさんの役割としてお願いした。

Mさんは「こういうのが楽しいんよ〜」って言いながらやってくれます。

来所後はこれを中心にして過ごしてもらいますが、集中力が切れたときは大好きなたばこを吸って過ごしてもらいます。

   
  彫刻刀で板を削る仕事も、お昼からは「犬が待ちよるけえ帰る!」となるので、認知症ケアの定番のドライブへ出かけます。

利用開始からしばらくはこのパターンでわりと上手くいっていました。

実はMさんがご利用を開始した時、彫刻刀もドライブもたばこも、ほぼ専属でついてもらったのが、1番若くて介護経験の少ない24歳の男性スタッフでした。

理由はもちろんあって、Mさんが心を許しやすいだろうと考えてのことです。それには介護経験が少ない方がベストかなぁと思ったのです。 10年も20年も介護をやっていると、相手の裏を考えるようになることが多いので、Mさんとの関係が上手くいかないだろうと思ったからです。 それに加えてこのスタッフに成長して欲しいというのもありました。結局そのスタッフは退職しましたが良い経験になったと思います。

この男性スタッフがいないときはMさんが

「今日はあの子はいないの?」

と聞いてくるようになりました。そして自宅でも彼のことを友達だと言っていたようなのです。

Mさんと関わる前に彼には、

介護職としての会話じゃなくて、普通の人がするような会話や関わりをしてね

とお願いしていました。

それが功を奏してMさんが心を許してくれたのは間違いないと思います。

高齢者の認知症と違い、若年性認知症の方は、自分自身の若さと病気との間での葛藤があると思うので、高齢者中心の介護施設になじむのはきっと難しいと思います。 しかし施設に一人でも心を許せる人が出来ればそのスタッフをきっかけとして可能性が出てくるのではと思いました。

若い男性スタッフが退職後は20歳のさらい若い女性スタッフが入社したので、もちろんついてもらいました。 案の定Mさんは男性スタッフの時とは違い鼻の下を伸ばしながら 楽しそうにやっています(笑)

Mさんがご利用開始して2カ月ほどして、毎年恒例の流しソーメンの日がやってきました。 このころになればスタッフも対応に慣れてきていて、気心知れた男性スタッフが(お休みで)いなくてもイベントでもなんとかなるだろうと思っていました。

そしてこの日は奥様が数カ月前から楽しみにしていたコンサートに行く日でもありました。
  

いつものように奥様に車で送って頂いたのだけど、なにやら不穏な空気です。

いつもと違う奥様の雰囲気を感じたのかは分からないのですが、

「帰る!車も乗らない!」

と過去最高の拒否モード。そして、Mさんは奥様の車にもデイサービスの車にも乗らずに歩いて帰ろうと歩きだしていました。

こうなってしまうと少林寺拳法経験者でまだまだ若者のような力を持つMさんは女性職員ではお手上げ(危険)なので、その日唯一の男性職員である私しかいない…

「何とかなります!」

と根拠のない(笑)自信で声を掛けて、奥様にはコンサートに出かけて頂きました。

私は何とか説得を試みますが、力は強いし、歩くスピードは速い。なので早々に諦め、仕方なく後ろをついて行くことにしました。

「風の便り」は大通りから一本入った道沿いにあるのですが、Mさんはすぐに大通りに出てしまいます。安全な道路に誘導しようにも話を聞いてもらえるはずはありません。

季節は真夏のカンカン照り

途中道路の真ん中をフラフラ歩こうとするので、さすがに危ないと思い、力ずくで道路の端に連れ戻します。そしてまたフラフラと道の真ん中へ。そんなことを何度か繰り返しているうちに30分は歩いたでしょうか… 急坂の途中でMさんの足取りがフラフラし始めます。


「そろそろ大丈夫そう…良かった…」そう心の中で思いました。

施設に電話し、「○○の坂を上ったあたりに…」と迎えを頼みました。

迎えに来た車が止まっている場所の手前でタイミングを見計らって声を掛けました。

Mさん…疲れましたね…

Mさんから

イライラしとったんよ…

との言葉が出たので少し安心します。Мさんご自身の中で不安な気持ちが消化できた言葉だと思いました。Mさんはすんなりと車に乗って下さり、無事に帰所しました。

やはり、奥様の様子がいつもと違ったので何か感じるものがあって不安だったのだと思います。 そしてこのときは自分の気持ちを消化するのに時間が必要だったのだと思います。

施設へ戻ってからスタッフにバトンタッチし、1時間くらいでいつものMさんに。 藤本は、帰れなかったらどうしよう(笑)と気をもんでいた天麩羅つくりを開始しました。 Mさんも参加し、流しソーメンも無事に?終わったのでした。



これで終わればよかったのですが、実はMさんが施設を飛び出したのはあと2回あります(笑)

イライラの度合いが弱かったのと、今回のように一緒に歩けばいつかは落ち着くだろうとわかっていたので、そのときは20歳の新人スタッフに任せることにしました。 でも誤算だったのは、季候が涼しかったこと(笑)

歩いても歩いても疲れなかったそうです。 1時間ほどして連絡があり、迎えに行きました。

もう1回は、昼食後にいつもはドライブに出かけるところを、いつもよりMさんが穏やかだなぁ…と感じたスタッフが近所を散歩して戻ってきたのです…

いつもと違う空気をMさんは敏感に感じます。

ドライブしようと車に誘導しましたが、Mさんの拒否が強く、歩いて帰り始めてしまいました…

なんでいつもと違うことするのよ(悲)と思いましたが後の祭り…一緒に歩くしかありません。

今度は冬でしたから、Mさんは一向に疲れません(笑)

途中ファミリーマートで寄り道しながらの2時間強のコース…。

いくら冬でもね、2時間も歩いたら二人ともヘロヘロでした。

きっとMさんは普通と違う空気を敏感に感じるのだろうなあ…と私たちは勉強させて頂いたのです。





 

O若年性認知症Mさんの認知症介護A 大切にすべきは見えない時間


Mさんがご利用を開始して1年ほどたったころの担当者会議でのお話です。

会議の後にお電話を頂き、私が何気なく言った一言で「肩の荷が下りました…」とケアマネさんが言ってくださったのです。

理由を聞くと、

Мさんが夜中にいなくなったり、奥様がついていられない時間にいなくなったらどうしよう…

と色々と考えていらっしゃったらしいのです。

私はその会議で

「やるべきことをやってそうなったら探すしかないですよね〜」

って言った(つぶやいた?)らしいです。

真面目なケアマネさんほど全責任が自分にあると感じるのかなあ…と不真面目な私は思いました(笑)


実はМさんは並行利用しているもう一つの認知症デイサービスで、1度脱走?して行方不明になっていたのです。 来所後ほどなくして気づいたらいなかったそうです。靴も履かずに靴下のままで。その時は幸いにも近くの国道沿いを歩いていたМさんを無事に見つけることができたそうですが、 一つ間違えれば大惨事になっていたかもしれません。

認知症のお年寄りが行方不明にならないように最善を尽くすというのはもちろん大切だとは思いますが、 そのためには現実的に四六時中の監視が必要です。

でもそれってねぇ…とTさんやサダ子さんの経験からお年寄りの行方不明をたくさん経験(施設内からではないですが)してきた私は思うのです。

認知症のお年寄りが誰からも見られていない時間を作ってあげるのも必要じゃないでしょうか…



このくらいの時間なら家で奥さんの帰りを待てるだろう

とか

ずっと見ていなくてもこのくらいの時間なら一人で落ち着いていられるだろう

とか。

認知症を信じるのではなく、その人を信じる…信用するというのでしょうか。 人として認めてもらえるというのはそういうことではないかと思うのです。

周囲の人から信用してもらえているのがわかるから落ち着いていられると思うんですよね。 もちろん認知症があるのでずっと落ち着いているのは難しいことは承知の上で。

Мさんが利用を始めて1年ほどになるのですが、Мさんはもちろん日に何度も帰ろうとします。でも、だまって帰ろうとすることは最後まで1度もなかったのです。 必ず、声をかけてくれてました。そのたびに上手いこと言われて止められて、ちょっと止められそうになければドライブに出かけて。

この会議のころに、近所で80歳の男性が行方不明になっていました。早く見つかってほしいなあ…と思うのと同時に気になったのが周囲に助けを求めるタイミングの遅さです。 この80歳の男性については詳しくはわかりませんが、警察にはおそらく早くに知らせていたとは思うのですが、車から拡声器で放送して巡回していたのがいなくなって3日後くらいではなかった かと思います。

さらに気になったのが、「80歳の男性が〜」と放送して回っていたこと。 命を助けたいなら名前も住所も行った方がいいでしょ…と感じました。

このことをМさんの会議でお話したのです。

Мさんがもしいなくなったらすぐに警察に知らせて、名前出して放送してもらいましょう!」って。

信じるのはいなくなるまで…いなくなったら信じません。プライバシーや体裁より命ですから。





 

P若年性認知症Mさんの認知症介護B ドライブ行くなら男より女


Mさんはご利用開始からずっと、朝は奥様が送ってくださっていた。

ご利用開始から1年以上過ぎた10月頃から、Mさんが朝デイサービスに入りたがらなくなった。 それまでは日中にそうなることはあっても、朝は機嫌よく来てくれていたのです。

それに加えて「嫁が浮気をしている…」と疑うことが日に日に強くなっていったのです。



ドライブや散歩で少しは気分が変わることがありましたが、ふとした時に

どうせ浮気しよるんよ…

なんて言葉が漏れるのです。


奥様が連れてくるからダメで、こちらが送迎に行けば良いかと言えばそうでは無くて、 もう一つ利用しているデイはお迎えに行っているのですが、 車に乗るまでにかなり渋るようです。

どうしたものかと考えたのですが、ふとした時にMさんが漏らした言葉がヒントになりました。

なんで嫁さんは仕事をしよるんじゃろうか…人間関係やら大変なことばかりじゃろうに…



そっかぁ…今までは奥様はMさんがデイに行くときに

「私は仕事に行ってくるからお父さんもデイサービスで楽しんできてね〜」

なんて言っていた。私たちも

「奥様はお仕事ですよ〜」なんて何も考えずに(いや、一応納得してもらうために)伝えていた。

けど、Mさんにとっては奥様が仕事をしている理由が分からなくなってきていた。 だから、仕事場で『浮気』していると思い込むことで無理やり自分を納得させていたのではないか…。

ということは、奥様は仕事をやめてワンちゃんのお世話をしているなんて思いこんでくれたら『浮気』の言葉は無くなるかもしれない…

もちろん仮説ですが、根拠はなくてもやってみなければ始まりません。 ちょうど奥様が1週間入院したのも利用できるかと思い、

次のドライブの時に さっそく伝えてみました。

退院したら奥様は仕事を辞めて家でワンちゃんのお世話をするみたいですよ!心配事が減って良かったですね!

するとMさんは

そうかね…それは良かった。

と安堵しました。

入院・退院の節目があったのも記憶を変える良いきっかけだったかもしれませんが、もちろんすぐに忘れます。

わたしはその日のドライブの車中、10分おきくらいに伝え続けました。ドライブが終わって帰ってきたのは3時間後(笑)

忘れては伝えての繰り返しでしたが、説明を聞いたときはかなり穏やかに安心しているのがわかりました。

「これはいけるな…」と感じたので、

すぐに奥様にもケアマネさんにも、もう一つのデイサービスの方にも同じように伝えてもらうように協力をお願いしました

効果はてきめんです!

しばらくして『浮気』の言葉はピタリとなくなったのです。




そして今度はもう一つの懸念事項がありました。

この頃開始した朝のお迎えです。

奥様が送り出してくださるのですが、直前まではどうも奥様と一緒に行くと思って機嫌が良いのだが、 いざ車に乗り込むときになって一人だとわかると、不機嫌マックスなのです。

何とか乗り込んでも、ここでは書けないくらいの暴言の嵐…



1時間くらいドライブすれば落ち着くのだが、機嫌が悪いときのMさんの対応を女性スタッフに任せるのはやはり危ない…。

かといって、ずっと代表である唯一の男性スタッフの私が行くのもいつか無理な状況がくる。

マジどうしようか…と本気で悩みました。

Mさんは午後は車で40分くらいの銭坪山の頂上までドライブに行く。天気が良いときはそこからの眺めは絶景でいつも感動して帰ってきます

ある日、私が休みを取らなければならず、Mさんのドライブを初めて女性スタッフに任せなければならない日がありました。

午後からはおだやかなMさんなので心配はないだろうと腹をくくり、銭坪山へドライブに行ってもらいました。



後日、スタッフに聞くと、Mさんはとてもノリノリだったらしいのです。

その次の利用日にМさんが話してくれました。

ここは前にも来たねえ…この間はかわいい女性を連れてきてあげたんよ〜凄い喜んでくれてねぇ〜良かったよ〜あんたも奥さんと子供を連れてきてあげんさい!

  

私と何度も一緒に来たことなんて一切覚えてないのに、女性と来たことは覚えとるんかい!

心の中でそうツッコみましたよ(笑)

まあこんな感じだったのですが、女性スタッフとのドライブでこの反応が2〜3回続いたので、ひょっとしたら…と思い奥様にお願いしてみました。

「デイサービスに行ってきて」ではなく「女の人に山の頂上の素敵な景色を見せてあげてきてね!

と送り出してもらうように。

お伝えしてから初めての利用日…車に乗り込んでからも以前のように不機嫌になることもなくノリノリ鼻歌だったそうです。

銭坪山までのドライブから帰ってきてからは、やり切った感が満載でした。 そして昼食後は「帰るよ!」と元気よく再びドライブへ…。

スタッフは今度は海を見ようと車を走らせましたが、海を目前にした銭坪山のふもとで、

そこ〜右右!

と誘導され、この日2度目の絶景を拝むこととなりました(笑)


Мさんは、ご利用から2年を迎える直前に奥様のご病気の都合で入所するまで、女性スタッフに絶景拝ませて続けて下さいました。

認知症の介護には役割づくりが大切なのは言うまでもないのですが、

Мさんには 『女性スタッフに山の頂上の素敵な景色を見せる』 という役割がピタリとはまったようでした。

それに加えてМさんは、とにかくドライブをしている時が一番機嫌がよかったのです。私たちはその日その一瞬のお年寄りの笑顔のために仕事をしているのですから、ほぼ1日中スタッフがとられるからといっても、ドライブをしない理由はありませんでした。

たとえ1日中になったとしても(笑)





 

Q若年性認知症Mさんの認知症介護C 切なる願い


Mさんの誕生会をすることになった。

さてどうしようかと頭を悩ませる。

なにしろ食事のテーブルについて頂くのもタイミングを外せば無理(やり直し)だし、利用開始以来1年以上おやつも食べたことがないし…

いつもの誕生会なら、食事前にあいさつをしてちらし寿司を食べて頂く。おやつの時間にハッピーバースデイを歌って、プレゼントを渡して、写真を撮って、みんなでケーキを食べる…という一連の流れがある。

でもおそらくMさんには通用しないだろう(笑)

「いやいや、帰るから!」

でチャンチャンです。



主役がいない…という前代未聞の事態を避けるために考えに考えた答えは…

困ったときはノリとテンションでごまかす(笑)

すべてをおやつの時間に集中するために、まずお昼は何も説明せずに食べて頂きました。

そして勝負のおやつの時間! いつものようにドライブに出て時間を見計らって帰ってきたところをサプライズでお祝いすることにしました。

理屈で攻めると、考えて拒否されてしまうので、ノリとテンションでいこうと(笑)

帰る時間を決めて、明かりを消して他の利用者さんとともにすべてをスタンバイして待ちます。

そしてMさんが到着し、フロアに入り、

「まあまあMさん…」と椅子に座って頂いた瞬間に、


明かりを点灯!

クラッカー

「Mさんお誕生日おめでとうございま〜す!」

「ハッピーバースデイMさ〜ん!」

プレゼントを渡し

写真撮影

「いただきま〜す!」


と考える間を与えないように勢いで行きました。

結果は大成功でした。


Mさんは、恥ずかしそうに自ら手をたたいて歌い、歌が終わると立ち上がって両手を広げて声援に応え(笑)、いつもならすぐに「ちょっと奥に行く。」なんていうのに、 顔を赤らめてずっと座っていました。

照れくささでどうしていいかわからなさそうだったから、こちらから声をかけて 「Mさん奥に行こうか…参加していただいてありがとう!。」なんて言ったぐらいです。

おまけにショートケーキにまでちょこっと口をつけて下さいました。

「来年もお祝いさせてくださいね〜」っていったら、

来年は…死んどるじゃろ(笑)」って照れ隠しで答えるMさん。

帰宅時も、「ありがとうね!」っていつもと違う表情の「ありがとう」を聞くことができました。

手前味噌ですが、15年間で1番良い誕生会でしたね…。


こんなエピソードもあります。

Mの認知症はときに驚くような発想を生み出しました。

帰りの送迎時、Mさんは助手席に座っていました。

さあ出発だ…というときにダッシュボードにおいてあった、Mさんの奥様にお渡しする封筒がないことに気づきました。

車中を探しても見当たらず、気が引けたのだがボディチェックをしても見当たらず…パンツの中には無いよなぁ…と調べず(笑) ダッシュボードに置いたのは自分の勘違いだったかと物忘れの多さに少々へこみました。

仕方なくご自宅まで送り、奥様にはまた探してみますと伝えました。

すると、帰社後にすぐに奥様から電話があり…

「ありました!」


靴の中に(笑)

 


連絡を受けて爆笑しました。


靴の中までは想像できませんでした…「一本取られた」って感じです。

次はぜひパンツの中に(笑)…と思った私です。




もう一つエピソードを紹介します。

Mさんはハゲていました。会話の最中に「今日は晴れましたね〜」なんて言うと必ず、

誰がハゲやねん(笑)

と帰ってきます。

これがMさんの機嫌を図るバロメーターです(笑)



ある日のMさんとのドライブ中にこんなことがありました。

その日は朝から不機嫌だったので機嫌がよくなるまでのロングドライブで大島を1周していました。

途中ノリノリになったMさんは音楽に合わせてリズムを取りながら歌っていました。

そしてMさんは突然、両手で2回パンパンと叩いて手を合わせてこう言い放ったのです…



ハゲませんように!



え…いや、もうハゲてるでしょ!

私はMさんの方をチラ見して全力で突っ込みました(笑)

切なる願いを口にできたMさんはずっとニコニコしていましたね…ずっとずっと。







 
 
 

 
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