ホームページをご覧の皆様、はじめまして。
山口県岩国市で小規模デイサービスを運営している藤本です。
私は23歳の時に介護の世界に足を踏み入れました。初任者研修(ヘルパー2級)などの資格を取ってから現場に入ったのではなく、
障害者の温泉旅行ボランティアをきっかけに介護という仕事を知り、大学卒業後の就職のあても無かったことから、「介護でもやってみようかなぁ…。」という程度の気持ちで介護を始めました。
それ以来この仕事の楽しさにハマってしまい、興味本位で6つの職場(訪問入浴・グループホーム・老人保健施設・デイサービス・訪問介護・派遣職員)を渡り歩きました。
途中、「新しい介護」という新鮮な考え方に触れる機会も頂きましたが、私が働いた施設は、お年寄りを十把一絡げに扱う様なところで納得できないことも多々ありました。
「自分が納得できる仕事をするには自分で独立するしかない…」と考え、
7つ目の職場として「風の便り」を立ち上げました。独立後にも人手不足による事業休止を経験するなど、紆余曲折がありながら、あしかけ22年間に渡り介護の世界にお世話になっています。
この22年の間に介護をめぐる環境は大きく変わりましたが、
介護の現場は3Kの仕事と言われ、敬遠されがちなことは変わっていません。
そして、介護を仕事としてない人にとっても、将来自分が介護を受けることに不安がある人も多いと思います。
しかし、介護の現場を経験した人にとっては、大変さの中にも、楽しさを見いだせる仕事だと思う人は少なくないはずですし、
介護を受けることは恥ずかしいことではないというのは言うまでもありません。
このコンテンツでは、私が現場で出会ったお年寄りや介護の先駆者たちから学んだことをもとに、
「デイサービス風の便り」流の「介護が楽しくなる考え方」について書いていきたいと思います。
そして、当然ですがこれから書くことが介護のすべてではありませんので、どうぞ気楽な気持ちで読んでみて下さいね。
介護に対する見方や考え方を少し変えれば、介護は本当は楽しい仕事であることを知ってもらうとともに、
日々の介護が楽しくなるヒントを1つでも見つけてもらい、
また将来の介護を受けることへの不安を少しでも和らげることが出来ればこんなに嬉しいことはありません。
|
さあ、一緒に、楽しいケアをはじめましょう!

このコンテンツでは、そもそもなぜ「楽しい介護」なのか?について考えてみたいと思いますね。
いきなりですが質問です。
いま介護の現場で働いている皆さんは、自分のやっている介護は"正しい"と思っていますか?それとも"間違っている"と思っていますか?
ちょっと答えるのが難しい質問でしたね。同じような介護をやっていても"正しい"と答える人もいれば、"間違っている"と答える人もいるでしょう。
それではもうひとつ質問です。
いま介護の現場で働いている皆さんは、自分のやっている介護は"楽しい"ですか?それとも"楽しくない"ですか?
これなら少しは答えやすいかもしれませんね。
なぜなら、楽しいかどうかは"私"しか分からないのですから。
■正しい介護って何?
介護保険が始まって20年が過ぎました。団塊の世代が75歳を迎える2025年問題に向けて「走りながら考える」とはよく言ったもので、
老人保健施設やグループホーム、小規模多機能施設など、厚生労働省の考えた制度は沢山ありましたが
「そこでどんな介護をするのか?」という肝心の介護の中身についてはほとんど議論されることはありませんでした。
しかしながら、これまでに家族の介護に携わったことのある人も介護を仕事としている人も、一回や二回は自分自身のやっている介護について
「
私のやっている介護は本当に正しいのだろうか?」と疑問や不安を感じたことがあるはずです。
実は医療と違って歴史の浅い
介護には国民のだれもが納得できる"正解"がありません。
介護保険が始まった当初に比べれば、現在は介護に関する書籍が多く出版されていますが、その中身は千差万別で、どれを信頼したら良いか分かりません。
それもそのはずです。国としてどういった介護を目指すという方向性も定まっていないのですから。
そしてこれからも、国を挙げて「
目指すべき介護」の中身について議論になることはなさそうです。
そのような環境の中で、冒頭の質問のように「あなたのやっている介護は正しいですか?」に答えるのは少し無理があるでしょう。
"人体"に関わる
医療には、"治る"とか"治らない"の判断基準があります。
医学的に考えれば、治るのが正しくて、治らないのが間違いだとも言えます。
それに対して介護は千差万別の"人生"に関わっています。
ですから、「あなたのやっている介護は正しいか?」と聞かれて、自信をもって「正しい」と答えられる人はあまりいないと思います。
なぜなら、同じ生活習慣、同じ性格、同じ経歴の人はいないのですから。
それでも、目指すべき介護の方向が知りたいと考えるなら、"正しい"か"間違いか"とは異なる判断基準を持つ必要があります。
果たしてそんなものはあるのでしょうか?
■これからの介護は「楽しさ」を基準に考える
私たちのデイサービス「風の便り」は、
『そうだ 楽しいケア、はじめよう。』
とキャッチコピーをつけています。
私は、15年前に独立するときに、「自分が納得できる仕事をしたい」と思い独立しました。
これは「自分が楽しいと思える仕事をしたい」と同義語です。
だって嫌ですよね…人生の1/3の時間を占める仕事が楽しくないなんて…
そして、そんな気持ちで仕事をする介護職に介護を受けるお年寄りにとって、その時間が楽しくないことは容易に想像できます。
その時間は毎日デイサービス通う人なら人生の1/3、入所施設なら人生そのものです。
今介護の現場で働いている皆さんは、自分のやっている仕事が"楽しい"ですか?
皆さんの介護を受けているお年寄りは"楽しそう"ですか?
わたしたちの考える「目指すべき介護の方向」を知る新しい判断基準は、
介護する側も介護を受ける側も"楽しい"か"楽しくない"か
です。
そして「楽しさ」の価値基準は、人生に関わる介護と同様に千差万別ですから、
私たちの考える「楽しさ」とあなたの考える「楽しさ」は違って当然です。そして介護を受けるお年寄りにとっても「楽しさ」の基準が違うことも当然と言えます。
■介護を楽しくする考え方
私が介護の世界に入って22年が過ぎました。雇われる立場で7年、独立して15年です。"楽しい"介護も"楽しくない"介護も経験してきました。
独立した経営者と言っても個人商店のような小さな事業所ですから、今も毎日現場でお年寄りに関わっています。
これからお伝えするのは、私たちの考える
「介護を楽しくする考え方」です。
どうぞ気楽な気持ちでご覧くださいね!
ここでは似たような意味を持つイメージのある2つの言葉について考えてみたいと思います。
"生きたい"と
"死にたくない"
皆さんはこの2つの言葉から何をイメージしますか?
参考までに風の便りのミーティングで出た答えは…
"生きたい"のイメージ
・希望・元気な人・一緒に・未来・輝かしい・前向き
|
"死にたくない"のイメージ
・否定的・絶望に向けて・何かに必死にしがみつきたい・わがまま
・生きたいけど生きられないから死にたくない
|
"
生きたい"と
"
死にたくない"を両方言ってる人もいる…なんて意見もありました。
"
死にたくない"という言葉の代表的なものは"病院"ですね。
"
死にたくない"から受診をし、検査をし、治療をするのです。
他に"
死にたくない"にあたるものは、例えば「○○に良い」と
テレビで紹介された食べ物が次の日にはスーパーで売り切れるといったような行き過ぎた健康志向もそうでしょう。
今でいうなら"コロナウイルス"で自粛をしない人に対する"誹謗中傷"も"
死にたくない"
という思いが強すぎるが故の行動かもしれません。
"死にたくない"から病院へ行く。
"死にたくない"から健康志向になる。
"死にたくない"からコロナで自粛しない人に対して誹謗中傷をする。
|
では"
生きたい"はどういった言葉で使われるのでしょうか?
もっと自由に"生きたい"
認知症や障害になっても自分らしく"生きたい"
やりたいことや好きなことをやって"生きたい"
|
この2つには明確な違いがあるのです。それはいったい何でしょうか?
それは"希望"から出た言葉か
"怖れ"から出た言葉かという違いです。
もちろん"生きたい"は"希望"から出た言葉で
"死にたくない"は怖れ"からでた言葉です。
2つの言葉を介護の場面に当てはめてみましょう。
好きなものや美味しいものを食べて"生きたい"
認知症や障害になっても自分らしく"生きたい"
病気があるけど毎日を楽しく"生きたい"
|
死にたくない(転びたくないから)からいつもベッドにいる。
死にたくない(誤嚥したくない)から流動食ばかり。
死にたくない(怪我をしたくない)から包丁は使わない。
|
どうでしょうか?
"
生きたい"には自分を大切にして且つ前向きな意味が感じられますよね。
対して"
死にたくない"には恐怖から大切なものを失って後ろ向きな意味が感じられます。
2つを比べてみると
"
希望"から出た"
生きたい"
の方が"
怖れ"から出た"
死にたくない
よりも人生が楽しそうな気がしませんか?
病院へ行くことや健康志向になることが悪いのではありません。治療の必要があるときは病院へ行くことも大切ですし、食べ物に気を遣うことも必要です。
しかし、病院(
死にたくない)を退院すれば
そこは生活(
生きたい)の場のはずです。
つまり
"死にたくない"="病院"
"生きたい"="病院以外の生活の場"
|
といえます。
"
病院以外の生活の場"とはもちろん"
介護の場"のことです。"
介護の場"で"
死にたくない"
という志向になれば、生活の場を病院にしてしまうのと一緒です。
それはやっと病院から退院できたと思ったのに、そこにまた病院があった(笑)という笑い話のような悲しい話です。
ですから、"
生活の場"で行われる介護は、
"死にたくない"より"
生きたい"を支えることがとても大切なのです。
実は私がこう考えるようになったきっかけはある一つの本にあります。
その本とは、
「介護職よ、給料分の仕事をしよう」 (雲母書房)です。
☆生活とリハビリ研究所の
三好春樹さん(理学療法士)が2008年に出した本です。
その一節にこう書いてあります。
『アジアは生きたい、生きたいと言っている。ヨーロッパは死にたくない、死にたくないと言っている』
〜中略〜
だから「死にたくない」ために、老人がバンダナを巻いてエアロビクスに励み、みのもんたの番組を見ては食品の買い占めに走る。これは不健康ではないか。
〜中略〜
たとえどんなに貧しくても「死にたくない」よりは「生きたい」のほうが健康だ。生きるのに必死な人はエアロビクスも納豆の買い占めもしないだろう。
〜中略〜
私たちは「生きる」ケアをしたい。「死にたくない」ケアをするのは嫌だ。
介護予防、筋トレ、脳トレ…、みんな「死にたくない」に迎合したものではないか。
私たちは生きていても仕方がない、と感じていた人が、もう1度この身体で生きていこう、と思うようなケアがしたいのだ。
|
ちなみに、「風の便り」のミーティングの際に、「どちらの生き方を選ぶか?」を聞いたら、6人全員が"
生きたい"を選びました。
皆さんだったらどちらを選びますか?

「楽しい介護とは何か?」を考える上では、医療と介護の違いを理解しておくことも大切です。
何のために医療があるのか?と問われれば、「治す、
治療する」為、という答えになるのは明らかです。
では介護はどうでしょう。何のためにあるのでしょうか?
医療の目的 介護の目的
治す ⇔ 【 】
治療する ⇒ 【 】
人生で医療を受けたことがない人はいないでしょうが、介護を受けたことのない人はほとんどだと思います。
浮かんでくるイメージはは、「お世話をする」とか「オムツを変える」とか「食事を食べさせる」位でしょう。
それは決して間違いではありませんが、「目的=何のために?」と考えるとちょっと違うかもしれません。
医療が
「治す、
治療する」
ためにあるとするならば、介護は
【暮らす】や
【生活する】
ためにある、といった言葉の方がしっくりきますね。
そうです。「オムツを変えたり」「食事を食べさせる」といった具体的なことの先には
【暮らす】や
【生活する】
があります。
医療=病院=治療の場=【治す】 【治療する】
介護=在宅=生活の場=【暮らす】
【生活する】
|
ここを皆さんぜひ頭に入れておいてくださいね!
微差が大差といいます。医療と介護の違いを知っておくだけで、残りの人生が楽しいか楽しくないかに大きな差がでるのです。